さだかにぞ寝覚めの床に残りける‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−温故一葉− 河東けいさんに

年詞に代えて一筆啓上申し上げます。
お年賀拝見致しました。老いて益々意気盛んと、大先輩に向かってそんな形容をしては失礼千万なのでしょうが、毎年ご年詞に記されたご活躍ぶりを見るにつけ、まさに倒れ盡きるまで現役の、強い想いがひしひしと此方の胸に迫りきて感に堪えません。

思えば小松徹さんを介して共に協働させていただいた「走れメロス」より早くも30年が経たんとしております。光陰矢の如しとは、私にすればあまりに月次に過ぎるようで、「メロス」までのひたすら上を見て駆け抜けた15年と以後の30年では、その対照もきわまれりの感、想いはさまざま錯綜すること尽きませぬ。

それはさておき、もう何年になるのでしょうか、ご自身が海外へ数ヶ月の研修に行かれるとかで、不要になったという山頭火の句の日暦をわざわざ送って戴いたことがありましたね。まさにあれは嬉しい贈り物でありました。その年の暮れるまで仕事場の机に置いて愛用、一日々々を愉しませていただきました。送られた折り、驚きつつもお礼の電話を差し上げたきりで、あらためてのお礼、言上致します。

いまこれを書きつつ、ご年詞を眺めては、ふと気がついたのですが、芸名を「河東」とされたのは、本名「西川」から、西を東に、川を河にと転じた、洒落づくしだったのですね。何度も同じ差出人欄を見てきたはずなのに今まで気づかぬとは、まったくとんだ粗忽者ですね、お笑いください。

昨年は再びの「セールスマンの死」を拝見すること叶いましたが、ひとり芝居のほうも機会ありましたら是非ご案内ください。かならず駆けつけたく思っております。
「いつまでも若々しく、動きつづけて下さい。」とのお言葉を頂戴しましたが、まさに貴女にこそ相応しい謂いでありましょう。
いつまでも若々しく、倒れ盡きるまで舞台を!
  08戊子 1.10  四方館・林田鉄 拝


河東けいさんは関西における大先輩の女優。
1925(T14)年生れというから、今年11月の誕生日がくれば83歳になられる。
略歴によれば舞台へのデビューは‘55(S30)年、クライストの「こわれがめ」とあり、演劇世界に投じたのは意外と遅かったようである。
在阪の3劇団が合同して関西芸術座が誕生したのは‘57(S32)年であるから、もちろん創立時のメンバーの一人だが、その前身が五月座・製作座・民衆劇場のいずれに在籍したかは、ご本人に確かめたこともなく不明。
書中で少し触れたように、私には‘78年の「走れメロス」で演出の小松徹さんともどもご一緒いただいた有難き人。当時すでに50代になっておられたのに、コロスの長といった役回りで、20歳前後の若い男女たちに交じって汗ほとばしらせ奮闘していただいたのは忘れ得ぬ一齣。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−103>
 吹く風ぞ思へばつらき桜花こころと散れる春しなければ  大弐三位

拾遺集、春下、永承五年六月、祐子内親王の家に歌合し侍りけるに。
邦雄曰く、桜の花はいずれの春にも、自分の心から、散りたいと思って散ったことはない。すべては理不尽な風の所為だと思う。11世紀の真中の晩夏、母紫式部よりも豊かな歌才に恵まれていた作者も、既に老年にさしかかっていた。古今集以後の落花詠中に、花になり変わっての悲しみを述べた歌が果たして幾つあったか。大弐三位の発想の自在、嘉すべし、と。


 さだかにぞ寝覚めの床に残りける霞みて暮れし花の面影  貞常親王

後大通院殿御詠、夜思花。
邦雄曰く、あたかも花を愛人のように具象化・擬人化して、夜々を共にしたかに錯覚させる。痕跡などあろう筈もない。抽象の「花」の過ぎ去った面影が、残り香、移り香さながら、寝室に漂っているのか。類歌がありそうで実はまことに個性的な惜春歌。同題の「これもまた山風吹けばとだえけり花にかけつる夢の浮橋」も、巧みな定家本歌取りである、と。


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