あるじはひんにたえし虚家

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Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」

<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−12

  影法のあかつきさむく火を焼(たい)て  
   あるじはひんにたえし虚家     杜国

春秋の句は三句以上-五句まで-。夏冬の句は三句限、月花の句を除く平句の場合は一句にとどめてもよい。いつ、誰が、どうやって決めたとも云えぬ約束だが、これは日永-春-・短日-冬-・夜長-秋・-短夜-夏-という季語と一体の考え方である。
前句の「影法の」を「影法が-影法ばかりが-」と擬人的に読めば、打越の悲寥の情を抜き去って、冷え侘びた一幅の景に作り直せるだろう。

影法師そのものが主だ、という見究めが興のたねなら、焚火に映し出されるのは何者かの影ではなく、廃屋という現実、世相だと考えるほかない。「消えぬ卒塔婆」の情を断つべく、「絶えし虚家-カライエ-」と遣った用辞にも観照の工夫は見えるが、「貧に」とことわた裁ち入れに、新たなる起情を次句に求める含みがある。

延宝3(1675).4(76)年から天和元(1681)年にかけて、各国に飢饉相次ぎ、尾張でも延宝4年と6年の両度にわたり、計23万石の水損を被ったことが「徳川実紀」ら見える。米問屋だった杜国が窮民の実情を知らなかった筈はない。「虚家」の句は、この歌仙で初めて、寒酸の世相に目を向けた句作りである。

こういう句を、焚火にうごめく影は浮浪者のたぐいか、それとも取り残された婢僕だなどと-諸注の如く-ただちに考えてかかると、打越以下三句はまったくの陳腐な見立て遊びになってしまう。


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