しばし宗祇の名を付し水

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−温故一葉− 竹田雅則さんへ

立春も過ぎお水取りの時候とはいえ今冬一番の寒波がつづくこの頃、
時節はずれながら、寒中お見舞い申し上げます。

年末から年始にかけ、この大阪はとうとう市も府も、舵取りの顔が替わってしまいましたネ。
これが果たして吉と出るのか凶と出るのか、両者ともにあまりに未知数な部分が多く、乱流-カオス-の如く予測し難いところへ、昨年来のサブプライムの暗雲がこの国の経済に影を落とし、いよいよ深刻さは増すばかり、まことグローバリズムとは、世界中を混沌の坩堝と化し、底辺への競争を加速するものでもあるようです。

それにしても、九条界隈の変貌もまた激しいものがありますネ。先日も偶々立ち寄る機会があり新道の商店街を歩きましたが、書店かっぱやは閉店、付近の店舗も様相は一変しており、些か驚きつつ往時の姿を偲んでおりました。

阪神西大阪線の難波延伸の工事も来春あたり完成とか、それに伴いドーム横には大規模店イオンが出店するとか、これらによって九条界隈にもたらす陽と陰の変様はどのような地図模様を描いてみせるのか、予想するさえ空恐ろしくもあり、想いの羽は却って懐かしき頃へ、過去へとばかり遡ります。

振り返れば、わが四方館が先輩より「九条おどり」への出演招聘を戴いたのは86(S61)年で、もう22年も経てしまいました。この折はたしか25周年の節目だったと聞きましたから、この名物行事もほぼ半世紀を生き抜いてこられた訳ですネ。

その「九条おどり」の歴史ひとつ紐解いてみても、戦前はともかく、戦後の九条の変遷を語るにおいてその象徴たるに相応しいものがあることを思えば、きっと先輩の脳裏には、近く50周年を迎える「九条おどり」の一齣々々が想い出のアルバムとして色鮮やかに刻まれていることでしょうネ。
  08 戊子 如月鶯鳴  


市岡高校で私の長兄と同年で8年先輩の竹田雅則さんは、九条新道の商店街にある老舗の洋服店「京都屋」の二代目。演劇部でも先輩にあたり、大学も同志社へ行かれているから、直かに面識はなかったが隠れた縁の糸は太かったともいえそうである。

初めてお目にかかったのは、もうずいぶん古い話だが、たしか神澤師の公演パンフの広告原稿を貰いに行った時で、私はまだ学生ではなかったか。神澤にとっては数少ない常連の広告スポンサーであり、その線で神澤と彼との師弟の間は細くとも長く紡がれていたようである。
したがって、神澤師とのお別れの会にも、奈良の自宅兼稽古場での一周忌の集いでも、彼と顔を合わせたのはなんら不思議がなかったし、お互い「ヤア、ヤァ」といった感じであった。

竹田先輩の強い推薦で「九条おどり」に招かれた際のPerformanceはなかなかの見ものであった。このイベントに決して似つかわしいとはいえぬ表現は、通りがかりの客衆にとってずいぶん途惑いもあったろうが、その意外性と衝迫力は、そんな思惑や通念を超えて強い印象を与えたようであった。
80年代半ばのこの頃、こういった街頭におけるPerformanceをあちこちの機会を捉えてはよくしたもので、20回近くを数えるが、「九条おどり」でのそれもそのうちの0一つ。
今は懐かしの一齣である。


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−22

  ぬす人の記念の松の吹おれて   
   しばし宗祇の名を付し水   杜国

次男曰く、尾張の隣には、熊坂長範物見松と宗祇忘れ水-白雲水-という二つの伝説がある。前者は美濃国不破郡青野原、後者は同郡上郡山田庄宮瀬川のほとりと云う。発生は片や謡曲「熊坂」、片や、宗祇が東常緑から古今伝授を受けた因縁に拠るものだろう。常緑は郡上の領主東氏数の弟。宗祇が常緑から古今伝授を受けたのは文明3(1471)年、伊豆三島に於てだが、同年秋常緑の帰国に附いて山田庄にも赴いている。

評釈は、懐古の観相を作意とした故事の対付-ついづけ-と読み、地縁-美濃-による取合せだと説く。そうには違いないが、対という考の面白さは、仲を取持つ縁の巧拙によってきまるものだ。

杜国が芭蕉を承けて、目を付けた仲人は西行である。というよりは、謡曲「遊行柳」だと云ったほうが正しい。

新古今集」夏の部に「題知らず」として挿入された一御障子歌「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ-西行法師-」を、那須郡芦野の朽木柳に結びつけて伝承流布させたのは、「遊行柳」という夢幻能である。

事情は、「義経記」鏡の宿-近江国蒲生郡-の盗賊噺を美濃赤坂にすり替えて、熊坂長範なる伝説上の人物を作り上げた「熊坂」の場合も同様であって、こういう、時代・風体友に適切な仲人を連れてくることなしに、「しばし」などというつなぎの言葉が出てきた筈もない。

宗祇の忘れ水は、西行の遊行柳に見込まれたから、長範物見松のヨメになることができるのである。


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