烏賊はゑびすの国のうらかた

Db070509rehea119

―表象の森― 長い冬

16日(土)の深夜というより昨日の未明というべきだが、この一週間ほどALTI Fes.絡みで少々疲れ気味の神経は読書に向かうほどの気力もなく、なんとなくTVのチャンネルを回していて、眼に飛び込んできたのが「スーパーチャンプル」とかいうStreet Danceを紹介している番組で、まだどこか幼さを残した雰囲気の少女二人組の激しくも達者な動きだった。どうやら「中学高校ストリートダンス選手権」なるイベントの一齣だったらしい。
番組はこの決勝戦の模様をオンエアしていたようで、出場していたのは3組のグループだが、私が観たのはその最後の組で、中学3年生と1年生の少女のコンビだったのだが、まだ大人へと育ちきっていない成長期にある彼女らの、その身体のキレ、動きの緩急のありかたは見事なもので、ちょっと惹き込まれるような感じでつい見入ってしまったのである。
勝敗の結果は、この少女たちが他の2組を圧倒して優勝、チャンピオンに輝いた彼女らは感激のあまり泣きじゃくるほどだった。
中京テレビ制作というこの番組は、これまでにも深夜の退屈しのぎのひとときを偶に眼にすることがあり、hip-hop系のStreet Danceが今の若い子らにどれほど滲透しているかについては相応に承知しているつもりだし、持て余すほどのエネルギー発散の対象としてはこういったsubcultureが恰好のものだろう。

思えば若い子らの表現型subcultureは80年代以降ずいぶんと大きく変わってきたようである。
いまやその最たるものが、お笑いであり、Street Danceのようだ。彼らは自己実現の方法として、かたや芸人をめざし、かたやhip-hopのDancerをめざす。
その流れはまだまだ続く、10年、15年くらいは大きく変転しそうにはない。

偶々、その日の午後、劇団「犯罪友の会」の武田一度君と電話で、演劇にとっても舞踊にとっても「冬の時代はまだまだつづく」と語り合っていた。


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−26
  しらしらと砕けしは人の骨か何  
   烏賊はゑびすの国のうらかた   重五

次男曰く、うらかた-占形、占状、占方-の本義は卜兆のことだが、占の方法・人・材料などについても遣う。

古くは唐に亀卜、日本に太占-ふとまに-の法があった。夷国では烏賊-イカ-の灼兆を以て占ったかもしれぬ、ひとつ考えてみてくれ、というのが作意である。尾張のように海沿いの国なら、畑からイカの甲ぐらい出てきても不思議はない。ごく平凡で日常的なものを、野晒しよりも珍しげに取り上げてみせた思わせぶりが味噌で、もちろん、イカの骨を焙って卜兆にした故事など、何処にもないだろうと承知の上で作っている。

句はこびを売買に喩えれば、「人の骨か何」という貴方任せの謎を、吝-しわ-く仕入れて、色よく化粧して売るようなものである。真贋はお客さんが自分の目で確かめてくれ、謎が解けたら私にも教えて欲しい、とつけこまれれば買う方は悪い気はしない。この好心のくすぐり方は骨董屋の知惠だが、連句にも役立つ。互に気にかかる謎を間にして、売手・買手が顔を寄せ合う図は、おかしさとあわれがある。

句姿は幇間、埒もない遣句だが、しこりかけた座をうまくほぐしている。手柄はつね「人の骨か何」と作った前句の誘い方の軽さにもある、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。