秋水一斗もりつくす夜ぞ

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―四方のたより― 琵琶の会へのお誘い

今年も筑前琵琶奥村旭翠門下の琵琶の会が、この日曜日-2月24日-に例年の如く文楽劇場の3階小ホールで行われる。
生前は府下高槻市に在住した筑前琵琶人間国宝だった山崎旭萃が逝かれてすでに2年。その直門の高橋旭妙をはじめ数名の高弟が奥村旭翠一門に加わるようになって、この琵琶の会の陣容は愈々充実の感を呈し、よくあるおさらい会とは一線を画する聴き処を備えるようになった。

我が連れ合いの末永旭濤、このたびの演目は「筑後川」とか。
建武中興の後醍醐天皇が征西将軍として九州に下らせた懐良親王を奉じた菊池武光南朝方4万の軍勢と、少弐頼尚を筆頭とする北朝方6万の足利勢が激戦をした、所謂「筑後川の戦い」に因んだ語り物。
この戦いの折、傷ついた菊池武光が刀に付いた血糊を洗ったという故事から筑後国太刀洗」の地名が今に伝えられ、現在の福岡県三井郡大刀洗町とされる。

春弥生も近く、寒さもしだいにやわらぐ頃、
琵琶弾き語りに聴き入りつ暫しまどろむも一興かと、ご案内する次第。


<奥村旭翠と琵琶の会>
  2月24日(日)/午前11時〜午後4時30分頃
  国立文楽劇場3F小ホールにて、入場無料


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−28

  あはれさの謎にもとけし郭公   
   秋水一斗もりつくす夜ぞ   芭蕉

次男曰く、天晴れな解きぶりだ、と映-はや-している。「漏り尽す」は「漏さぬ」があっての興らしい、と覚らせるところにまず俳がある。「水も漏さぬ」とは、もともと男女の仲から生まれたことばだが、後世、物事の攻守双義に遣われるようになると、とどのつまり、閉塞の状までゆきつく反語ともなる。とりなしの利くことばだ。

でたらめな謎をよくぞ解いた、と一応は前句に対する讃辞と読んでよいが、二進も三進もゆかなくなった場を、息の合った応酬で切り抜けたのはさすが尾張衆だと、杜国・重五・野水のはたらきを三つまとめにして、持ち上げる含みがあるようだ。
連句のはこびは、季を移すのに雑の句を挟む。但し、季節順か、季を他季もしくは雑の詞に執成せる場合は、この限りではない。「季移り」とこれを呼んでいる。とはいえ、春の鶯と並べて初音を待たれた短夜の鳥と、夜長もようやく深まった気配とでは、季節も端と端で、これで只順と云って済ますわけにはゆかぬ。「郭公」と「秋水」を寄合と眺めたそれなりの理由があるはずだ、と考えると趣向のたねが見えてくる。

「辺風吹キ断ツ秋ノ心ノ緒、隴水流レ添フ夜ノ涙ノ行」-大江朝綱-、
「三秋ニシテ宮漏正ニ長シ、空階ニ雨滴ル。万里ニシテ郷園何クニカ在ル、落葉窓ニ深シ」-張読.唐-。
前は、先にも引いた「王昭君」の一首-律詩の第二聯-、後は同じく「朗詠」の落葉題に「秋賦」として採る。共に広く愛誦されてきたものだ。胡地に連れ去られる女の怨嗟を、長安後宮の愁思と同じに語るわけにはゆくまいが、右の賦は、そっくりそのまま明妃の望郷の悲しみに当て嵌まる。

芭蕉が、秋風の漏刻らしきものを以て感究まる体に付を案じたのは、朝綱の「王昭君」に重ねて、張読の「愁賦」を自ずと思い浮かべたに違いない-三秋とは晩秋、宮漏は宮中の漏刻である-。違いあるまいが、水時計は中国から伝わり、天智十年に初設、平安末には既に絶えている。言葉の虚実にうるさい俳諧師が、季語の実体を伴わぬ「季移り」に満足したろうか、という疑問がのこる。「秋水一斗もりつくす夜ぞ」には、ひょっとして実体があるのではないか、と読み直させるところが、じつはこの句の一番の見所のようだ。君の「郭公」は謎解きのための止むを得ぬ虚辞だが、私の「秋水」はそうではない、夜長の情を尽す漏刻は今も猶あるから考えてみてくれ、というのが作意である。

この問掛けは重五が当然答えてくれる筈だが、たねを明かせば添水-そうず-だ。竹筒で山清水を受け渡してシシオドシとすれば、なるほど水時計の仕掛に似ていなくはない、と気付かせるところに第二の俳が現れる。因みに、添水は仲兼三秋の季語である。王昭君の泪の量をはかりながら-隴水流レ添フ夜ノ涙ノ行-、季情の「あはれ」を虚から実へ奪ってみせた手腕は、さすがと云うほかない。「一斗」という誇張も、昭君の泪から添水へと考えればわかる、と。


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