日東の李白が坊に月を見て

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―世間虚仮― 大阪のホールがあぶない

昨日-20-、久しぶりに大阪市庁舎を訪れた。
行き先は8階の議員団控室、同行は大文連運営委員長の高田昌氏。
社会保険庁の外郭団体(財)厚生年金事業振興団が所轄運営するハコモノ「厚生年金会館」-西区新町-の売却が予定されており、今年9月以降のホール-劇場-存続が危機に瀕しているからだ。

この外郭団体が所轄運営してきた施設は全国に70ヶ所、みなウェルシティとかウェルハートピア、或いはウェルサンピアと称される宿泊施設をメインにしたもので、その内ホール併設は7ヶ所、札幌・金沢・東京・名古屋・大阪・広島・北九州の各都市にあるが、これらの施設すべて清算事業団である整理機構へとすでに移行しているというから、売却処分は時間の問題なのだ。

それぞれの都市にあってこれらのホールは、文化施設として中心的存在であったろうから、所在地の市民や文化団体のみならず、県や市の行政サイドをもすわ一大事と慌てさせた。札幌や金沢、北九州でも存続させるべく自治体による買取りを決めたと聞くが、財政破綻同然の大阪市は買取りなどとんでもないというわけで、希望の灯は一向に見えないままだ。

そんな騒ぎのなか事態逆転へ一縷の望みを託さんと動いてみた訳だが、少数与党で舵取りも思うに任せぬ平松新市長、はたして火中のクリを拾えるかどうか、ここ1.2週間が攻防のヤマだ。

それにしても、厚生年金会館ばかりでなく、中之島フェスティバルホールは来年から改装工事のため5.6年は休館するというし、森之宮のピロティーホールは一両年の間に閉館とすでに決まっている。新大阪駅近くのメルパルク・ホール-郵政公社所轄-も近く消えゆく運命と聞く。

おまけに啖呵売の橋本新知事が、府関連の施設総見直しとぶちあげているから、ドーンセンターやエル・おおさかも危ない。
このままでは大阪市内の主要なホールは軒並み姿を消すことになりかねないが、これが暴挙でなくてなんだというのたろう。
大阪は文化不毛の地へと失墜して止まぬ。


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−29

   秋水一斗もりつくす夜ぞ   
  日東の李白が坊に月を見て   重五

次男曰く、二ノ折十一句目、名残の月の定座である。「秋水一斗もりつくす」夜長の情を尽せるものはどこぞにないか、と誘われて重五は、それは詩仙堂の添水だと云いたいらしい。丈山が創意を凝らした添水が、嘯月楼と共に、詩仙堂の風韻の目玉だと考えればこの作意はわかる。

石川丈山-寛文12(1672)年、90歳で歿-は木下長嘯子-慶安2(1649)年、81歳で歿-と並んで、近世隠士の手本として江戸中期頃までの文人の間で、特別もて映された。素人ばなれした作庭の妙も夙に知られていた-枳殻邸の庭も丈山である-。

「日東-じっとう-の李白が坊」とは、嘯月楼の俳言だろう。「新編覆醤集」の序文に、朝鮮の聘使が丈山を「日東ノ李杜」と称揚したことを伝えている。その「李杜」を「李白」としたのは、調子もあるが、「李白ハ一斗ニシテ詩百篇、長安市上酒家ニ眠ル」-杜甫、飲中八仙歌-からの気転に違いない。作者が杜甫だという点も目付だ。丈山が酒仙だったという聞えはないが、月見に酒が付き物ならこれは「秋水一斗」との容易な連想である。

また、楼を「坊」に見替えた思い付も、添水は僧都とも云うからだ、と考えれば俳が生まれる。「そうづ」は「そほど、そほづ」-案山子-の転訛だろうが、引水による仕掛が普及して、威-おどし-とは別に唐臼や遣水にも用いられるようになった鎌倉−室町期以降、添水の発明者を玄賓僧都-平安初期の興福寺僧-とする説がかなり広く信じられていた。

句はむろん俤の付だが、老丈山が嘯月楼で聞いた添水の「昼ト無ク夜ト無ク、遅カラズ駛-はや-カラズ、曲節度ニ中リ、心ニ適ヒテ以テ山潜ノ寂寥ヲ潤色スルに足ル」響きを偲びながら読まされると、なかなか俳言の利いた付である、と。


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