茶の湯者おしむ野べの蒲公英

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―表象の森― ルーブル人形浄瑠璃

パリのルーブル美術館で、文楽の「曾根崎心中」が演じられた模様が伝えられていた。
このイベント、1858年の日仏修好通商条約に始まる日仏交流150周年を祝う記念行事の一つだとか、「天神森の段」を演じる人間国宝吉田簑助が遣う「お初」の妖艶凄絶な演技が、詰めかけた600人の観客にどれほど伝わったかはともかく、歌舞伎や能はいざ知らず、たしか人形浄瑠璃はフランスに初のお目見得の筈だから、浄瑠璃の隠れファンとしては、まことに結構なことである。

人形遣いと語りと三味線と、これが一体となった人形浄瑠璃の様式美はすぐれて完成度の高いものと、年を経るにしたがってその思いを強くしてきた。

「松岡正剛の千夜千冊」-第八百二十六夜-でも吉田簑助の著書「頭巾をかぶって五十年」を紹介するのに、「世界のあらゆる芸能芸術のなかで最も高度なのが文楽であると、ぼくはこのところはっきり確信するようになった。」と冒頭に記している。然もありなむだが、はじめ義太夫好きだった彼が浄瑠璃を見るにつけ、やがて人形振りに魅入られ惹きつけられていって、この芸能の深みに開眼していくさまが縷々語られており、傾聴に値しよう。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−06

  馬糞掻あふぎに風の打かすみ   
   茶の湯者おしむ野べの蒲公英  正平

茶の湯者-ゆしゃ- 蒲公英-タンポポ-
次男曰く、扇のあしらいを、門前で慶祝を交す留守居衆から、野遊の茶人に見替えた付である。季節は「蒲公英」とあれば既に晩春。霞-兼三春-からうまく正月気分を-初霞-を拭い去っている。

第三以下春四句続き、とはいえ新年は格別であるから、新年−新年−新年・春-−春とはこんで治定としている。春・秋の続きは通例三句でよい。

蒲公英は茶席の花になどせぬが、野点の座なら時宜にかなった花と見做せる。茶人は馬糞埃を扇子で掃って野の草をむしろ「愛しむ」と作っている。馬糞も、湯気の立つさま-前句-から陽炎のなかに粉塵となるさま-後句-まである、と読ませるところに滑稽の狙いがある。「あふぎ」-雑-、「打かすみ」-兼三春-、二語のとりなし様がはこびの鍵、と。


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