燈籠ふたつになさけくらぶる

Db070510062

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−08

  らうたげに物よむ娘かしづきて  
   燈籠ふたつになさけくらぶる  杜国

燈籠-とうろ-と読む
次男曰く、「かしづく」を男女の情に執成-とりな-して付けている。客観描写もしくは男の側の競いと読んでも通じるが、女が二人の、二つの情をはかり較べる、というところまで踏込んでよい。

「かしづき娘」に「かしづく」男を一人ではなく、二人と作ったところがミソである。昔物語でよく知られた話を下に敷けば、この恋は成就しないとわかるからだ。また、二人までも争って娘に言寄ってくれば、父親たるもの、かえって秘蔵の思いをつのらせて恋の不首尾をねがう。「かしづく」の両義をめぐるこの綱引きが面白さのタネだ。

連句には、神祇・釈教・恋・無常その他目立つ句ぶりを初折の表にしないというきまりがあるが、通例、これは初裏の二句目あたりまで準じてはこぶ。裏入早々、恋の呼出し・恋と、大胆にはこんだ目配りには、右の冷ましを兼ねて含とした工夫が利いているらしい。

灯籠は、盂蘭盆会に因んで、陰暦七月の季題とされている。藤原定家の「明月記」寛喜二(1230)年七月十四日の条には「近年、民家今夜長き竿を立て、其の鋒に燈楼の如き物を付け、紙張、燈を挙ぐ。遠近之れ有り。逐年其の数多し」と記し、揚灯籠-高灯籠-がこの頃既に習俗化しつつあったことが知られるが、季詞としては連歌にはまだ見えず、初見は立圃-リュウホ-の俳諧作法書「はなひ草」-寛永13年自奥-か。回灯籠・揚灯籠を七月として挙げている。しかしやや遅れて、重頼の「毛吹草-けふけぐさ-」-寛永15年自序-には、右二つに切子灯籠を加え、「只とうろは雑-非季-」と注記している。

灯籠はもともと社寺の用から起こり、照明具として普及し併せて観賞にも供されたものであるから、重頼の分類は理に叶っている。台形と釣型に大別され、材質も銅・石・木、框-かまち-に絵絹や紙を貼ったものなど、いろいろある。「とうろ掛け添へ、火あかくかゝげなどして」-源氏・帚木-と云うのは軒か帷中に釣の数を増やしたことであろうし、「月もなきころなれば、遣水にかゞり火ともし、とうろなども、まゐりたり」-源氏・若紫-と云うのは庭の石灯籠に灯を入れたことを云うのであろう。また、回灯籠は走馬燈のことで、今の歳時記は夏の遊戯具に分類している。盆会の付きものときめてしまうわけにもゆかぬ。

「燈籠ふたつになさけくらぶる」の季は、秋と読みたくなるがひとまず雑の作りとしておく。季の句とするかどうかは、秋三句-以上五句まで-という約束に照して後続のはこびが決めることだ。いきなり「燈籠は盆燈籠なること勿論にて、其娘の母の亡せたること言外にあらはる」-露伴-ではこまる。初裏二句目から哀傷含みの恋句というのも、更に合点がゆくまい、と。


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