庄屋のまつをよみて送りぬ

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―表象の森― 生命の非平衡性、創発性 

寒の戻りか、思いのほか冷え込んだ朝。車を検査受けに出しているため、地下鉄で稽古へと出かける。
外へ出たらポツリポツリとしのつく雨、傘を持たずに飛び出したのを悔やんでみたがもう遅い。ままよ長くは降るまいと高をくくったのが運の尽き。夕方近くなっても雨はやむどころか、かえって本降りの体。
ふだん車で通うものだから、空模様に頓着しない習性がついてしまって、こんな抜かりをしてしまうのだ。


<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より

生命の法則‥‥。「創発理論」の探求

予測の不可能性−
第一の根拠は、原子より小さな世界における基本的な非決定性を保証している量子力学である。
この非決定性は巨視的な結果に影響を与える−たとえば、ランダムな量子的事象はDNA分子における突然変異を引き起こすことができる−ために、すべての分子や超分子の事象に関して、詳細な特定の予測をすることは基本的に不可能である。

第二の根拠は、カオス理論。
いわゆるバタフライ効果を考えれば理解できる−カオス的な系においては、いかなる小さな変化も、大きく増幅された効果をもちうるし、実際にそれが普通なのだ。

生物は単純でランダムな系ではない。ほぼ40億年かけて進化してきた、高度に複雑で不均一な系なのである。たとえば、受精卵が成体へと成長する個体発生は、体内の各細胞内における遺伝子とその生成物のネットワークによってコントロールされている。

もしこの発達が、ネットワークのあらゆる状況に依存しているとしたら、生物の秩序を理解するには、これらすべてを詳細に知らなければならないが、成長の際にみられる秩序の多くは、相互作用し合う遺伝子のネットワークがたがいにどのように関連しているかと無関係に生ずる。

こうした秩序は強靱であり、創発的であり、自発的な構造が集団的に結晶化した構造といえる。そしてその秩序の起源や性質が、個々の詳細とは独立に説明されることが期待できるのである。

自然淘汰は、この自発的に生じた秩序に対して働きかけを行うに過ぎない。

宇宙が進化するのは、究極的には、宇宙が平衡状態にないことの自然な現れではないのか。
150億年前のビッグバンの閃光によって生み出された宇宙は、現在も膨張し続けており、おそらくビッグクランチへと再び収斂することはないだろうと言われている。

宇宙は非平衡状態にあり、最も安定的な原子である鉄よりも、水素原子やヘリウム原子のほうが過剰に存在している。何も形成されない可能性もあったのに、実際はさまざまなスケールの銀河や銀河団が存在している。また、宇宙には、仕事を行うために用いることのできる非常に豊富な自由エネルギーが存在している。

われわれのまわりの生命は、おそらく、形のある物質と自由エネルギーが結合したことの、当然の帰結であったに違いない。


秩序が生まれる際の二つの代表的な形式−
その一つは、低いエネルギーをもつ平衡状態である。
ウィルスは、核を形成する繊維状のDNAあるいはRNAからなる複雑な分子システムである。核のまわりには繊維状の尾や頭部構造、その他の特徴を形成するためにさまざまなタンパク質が集まっている。水に富んだ適当な環境下では、DNAやRNAの分子と構成要素のタンパク質が、ちょうど鉢の中のボールのように最もエネルギーの低い状態を探し、自発的に集合することによってウィルス粒子が作られる。
一度ウィルス粒子が作られると、維持するのにそれ以上のエネルギーは必要ない。

二番目の形式では、秩序化された構造を維持するために、質量あるいはエネルギー、またはその両方の供給源が必要となる。これらは鉢の中のボールとは異なり、非平衡状態における構造である。
浴槽の中の渦巻が、水が連続的に供給され、排水管が開いたままになっていれば、この非平衡の渦は長い間安定に存在できる。

このように維持された非平衡の構造の例で、最も驚くべきものが木星の大赤斑だろう。大赤斑は、あの巨大な惑星の大気の上層部にできた渦巻であり、その寿命は一つの気体分子の平均的な時間よりも遙かに長いもので、物質とエネルギーの安定な組織であり、物質もエネルギーもその中を流れていく。

構成要素である分子が、一生のうちで何度も交換される人間の組織は、これと類似の性質をもつと見做しうる。

大赤斑のような非平衡状態における秩序は、物質とエネルギーが継続的に散逸することによって維持される。

散逸構造は、平衡状態にある熱力学的な系とは、まったく対照的である。
この構造では、系の物質とエネルギーの流動が、秩序を生み出す推進力となっている。

自由な生活を営む生物システムは散逸構造になっており、物質代謝を行う複雑な渦巻である。
ウィルスは自由生活を営む存在ではない。複製を作るためには、細胞を侵略しなければならない寄生者である。

細胞は低エネルギー状態の構造ではない。複雑な化学物質のシステムとして活気にあふれており、内部構造を維持したり複製したりするために、持続的に物質代謝している。
細胞は非平衡状態で生じた散逸構造なのである。ほとんどの細胞にとって、平衡状態は死を意味する。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−22

  おかざきや矢矧の橋のながきかな  

   庄屋のまつをよみて送りぬ    荷兮

次男曰く、景から情を引出した、其人の付。
「たちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとしきかばいま帰りこむ」-古今・離別-、ご存じ「百人一首」の在原行平の歌だが、これり捩-もじ-りだろう。

因幡山-歌枕-を「庄屋」に読替えればよい。むろん「まつ」は松、待つの掛である。この付句によって、その名も松平家康の望郷の謎かけは愈-いよいよ-はっきりする。「庄屋」はさしずめ今川義元と読めばよい。

「庄屋の松-待つ-」にひとしい身は、岡崎からも、待つという便りが届くのを首を長くして待っている、というのである。
「まつ-松、まつ、松平-」は、尾張藩の根をたどって思付いた軽口だ。


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