晦日をさむく刀売る年

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―表象の森― Neurath's boat

7日の入学式まで、毎日通った保育園という楽園を失ったK女は、いやでも日長家に居なければならない。
彼女にとっては退屈このうえないことだろうが、この一週間はわが家で年老いた父との二人暮らしがつづく。
保母さん代わりの務めを課せられた此方も、これはこれで荷厄介なこと夥しいが、ときに諦めも肝心、のんびり構えて彼女に合わせてやるしかない。


「ノイラートの船」
ウィーン学派のO.ノイラート(1882-1945)が「アンチ・シュペングラー」(1921) で用いた比喩だという。
知の体系というのは港の見えない海上に浮かぶ船のようなもので、そのような状態でなんとか故障を修理しつつやっていかなければならない。
「われわれは船乗りのようなもの-海原で船を修理しなけばならないが、けっして一から作り直すことはできない船乗りのようなもの-である」。

この比喩は、foundationalism-基礎づけ主義-を批判して用いられている。デカルトらの古典的foundationalismにおいては、ある批判不可能な土台となる命題があり、その上に建てられた体系-諸命題-も、土台から論理的に導かれているかぎり批判を受けつけないものとなる。
これに対し、ノイラートの船の比喩が含意しているのは、知の体系には土台は存在しないこと、また、全体が沈んでしまわないかぎり、部分的にはどの部分であっても修理をすることが可能であること。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−24

  捨し子は柴苅長にのびつらん  

   晦日をさむく刀売る年   重五

次男曰く、前句を晦日の掛払いにも困り果てた浪人の感慨に奪って、二句一章に仕立てた。解をもちいぬ遣句だが、「年」と治めた韻字留がうまい。慶安の頃から30年、泰平とはいえ、世相いまだかくのごとき年の瀬の感は一浪人の暮しにとどまらぬと云いたげな作りで、次句に興を誘いかける。仮にこれを「刀売る人」とでも作れば、はこびはとたんに痩せて窮屈になってしまう、と。


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