瓢箪の大きさ五石ばかり也

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−05

   理をはなれたる秋の夕ぐれ  

  瓢箪の大きさ五石ばかり也   越人

次男曰く、初折五句目は最初の月の定座だが、ここは雑躰である。

秋の定座で始まった歌仙では月の座を第三、脇に上げ、季続も通例三句目まで、稀に四句目に伸ばすことがあっても、発句以下五句秋という例を見ない。月を引き上げたことが無意味になる。

夕顔・瓢の花は晩夏で、実は初・仲秋だが、云うところの「瓢箪」が生-な-り物でないことは一読してわかるだろう。といって性急に玉鬘の身の上をたねにするようでは、俤取りの楽しみはなくなるから、越人は、たくみに「荘子」を持ち出して、「理をはなれたる」を無用の用に移し、俳としている。

「恵子、荘子に請ひて曰く、魏王我に大瓢の種を貽-おく-れり。我之を樹-う-うるに、成りて実ること五石、以て水瓶を盛れば其の堅-おも-きこと自ら挙ぐること能はず。之を割いて以て瓢と為すに、即ち瓢落-こぼ-れて容るる所なし。云々‥‥」-逍遙遊篇-

後年、珍碩-酒堂-編「ひさご」-元禄3年仲秋刊-の序を請われたときにも、越人はこの話を引いて作っている。酒好だったから瓢問答はとりわけ気に入っていたのだろうが、じつは手本がある。

「顔公の垣穂に生へるかたみにもあらず、恵子が伝ふ種にしもあらで、我にひとつの瓢あり。是をたくみにつけて花入るる器にせむとすれば、大にして規にあたらず。ささえ-小竹筒-に作りて酒を盛らむとすれば、形見る所なし。ある人の曰く、草庵のいみじき糧入べきものなりと。まことによもぎの心あるかな。やがて用ゐて、隠士素翁に請ふてこれが名を得さしむ。そのことばは右にしるす。其句みな山をもて送らるるがゆゑに、四山とよぶ。中にも飯顆山は老壮の住める地にして、李白が戯れの句あり。素翁李白に代はりて、我貧を清くせむとす。かつ空しきときは、ちりの器となれ。得るときは一壺も千金をいだきて、黛-タイ-山も軽しとせむこと然り。」

  ものひとつ瓢はかろき我世かな  芭蕉

貞享3.4年の成稿らしい。芭蕉庵の瓢をいささか伝説的にした有名な句文だが、「瓢箪の大きさ五石ばかり也」と作って、蓬心の謂れや飯顆山の故事が話題にならなかった筈はなく、そもそもこの両吟の興のきっかけも、越人が深川で初めてその実物を手に取った「四山」だったのではないか、とさえ思われてくる。

折もよし、ちょうど後の月見-9月十三夜-のころだったから、併せてこれを玉鬘に執り成して夕顔の恋を偲ぼう、というぐらいのことは誘い誘われて十五夜を共にしてきた俳諧師なら容易に思い付く。更科の月見に続いて翌年の敦賀の月見-ほそ道-でも、芭蕉は等栽を誘って今源氏をきめこんでいる、と。


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