医のおほきこそ目ぐるほし

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―表象の森― 砂山崩し

<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より

−自己組織化臨界現象の典型例としての砂山崩し−
テーブルの上の砂山を考えてみる。砂山にはゆっくりとした一定の速度で砂を加えていく。砂が積み重なり、やがて雪崩が起きはじめる。小さな雪崩は頻繁に生じる。大きな雪崩は稀にしか起こらない。雪崩の規模を直角座標系のx軸にプロットし、その規模の雪崩が起きた回数をy軸にプロットすると、ある曲線が得られる。結果は、ベキ乗則と呼ばれる関係となる。それは同じ大きさの砂粒が、小さな雪崩も、大きな雪崩も引き起こせるという驚くべき事実を意味している。一般に、小さな雪崩の回数は多く、また大きな地滑りは稀にしか起こらない-これはベキ乗分布のもつ性質である-と論ずることはできる。しかし、ある特定の雪崩が、小さな微々たるものであるか、あるいは破局的なものであるかをあらかじめ知ることはできない。

砂山−自己組織化臨界現象−そして、カオスの縁
共進化の真の性質は、このカオスの縁に到達することにある。
妥協のネットワークの中で、それぞれの種は可能なかぎり繁栄する。しかし、次のステップで、最善と思われた一歩が、ほとんど何ももたらさないのか、それとも地滑りを引き起こすのか、誰も推定できない。この不確かな世界においては、大小の雪崩が、無情に系を押し流していく。各自の一歩一歩が大小の雪崩をもたらし、坂の下のほうを歩いている人を押しつぶしていく。自らの一歩が引き起こした雪崩によって、自分自身の命が奪われることもあるかもしれない。

秩序とカオスの中間の釣合いが保たれた状態では、演技者たちは、自分たちの活動が後にどういう結果を引き起こすのかをあらかじめ知ることはできない。均衡状態で起こる雪崩の規模の分布については法則性があっても、個々の雪崩については予測不可能なのである。次の一歩が100年に一度の地滑りを起こすかもしれないのだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−08

  なに事も長安は是名利の地  

   医のおほきこそ目ぐるほしけれ  越人

次男曰く、「なに事も」とは次句を呼び込む工夫だとは先に言ったが、仮にここを「暮れかぬる」-春-、「路多き」さらに「医の多き」などと作れば、「名利の地」相応のものを取り出す楽しみを次句から奪うことになり、ひるがえって前句の「帰る」向きもあいまいにする。たぶん付伸ばしただけの三句絡みになるだろう。

越人の思付について云えば、人間の考えることは昔も今もあまり変りがない、というところに可笑しみがある。

はこびはab・ba・ab-表六句-のあと、裏はb-長-a-短-の六巡を以てする。両吟初折の通例である。

露伴は「名利の地たる都の繁華にして、医にかかるも名聞利栄を衒ひ、医もまた門戸を張り勢威を誇るさまを、暗に譏刺せるなり」、と。


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