鳶の羽も刷ぬはつしぐれ

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―表象の森― 猿蓑

蕉風歌仙、連句の世界−安東次男の「風狂始末」も、「狂句こがらしの巻」にはじまり「霽の巻」「雁がねの巻」とつづいて、愈々「猿蓑」所収の「鳶の羽の巻」へと移る。

「猿蓑」は去来・凡兆の編。元禄4(1691)年5月末に選了、同7月に出板。
乾坤2冊、乾-巻1〜4-には諸国蕉門118人の発句382句を、冬・夏・秋・春の部立順に収められる。

巻頭の句は「初しぐれ猿も小簑をほしげ也 芭蕉」で、
巻軸には「望湖水惜春、 行春を近江の人とをしみける 芭蕉」を置く。

坤-巻5.6-は、発句の部と同順の歌仙4つ、
「鳶の羽の巻」−発句「鳶の羽も刷ぬはつしぐれ」−去来
「市中の巻」−発句「市中は物のにほひや夏の月」−凡兆
「灰汁桶の巻」−発句「灰汁桶の雫やみけりきりぎりす」−凡兆
「梅若菜の巻」−発句「梅若菜まりこの宿のとろゝ汁」−芭蕉
が並び、さらには「幻住庵記」などより成る。

集の序は、古今集の仮名序・真名序の伝に倣い、其角が和文を以て著し、跋は漢文を以て丈草が著すという趣向。

俳諧の集つくる事、古今にわたりて此道のおもて起べき時なれや」にはじまる其角の序は、後段
「只誹諧に魂の入りたらむにこそとて、我翁行脚のころ、伊賀越しける山中にて、猿に小簑を着せて、誹諧の神を入れたまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ、あたに懼るべき幻術なり。これを元として此集をつくりたて、猿みのとは名付申されける。是が序もその心をとり、魂を合せて、去来・凡兆のほしげなるにまかせて書。」と結ぶ。


「鳶の羽の巻」連衆

・去来 向井氏、字は元淵、儒医向井元升の二男として慶安4(1651)年長崎に生れ、8歳にて一家を挙げて京に移住。青年時代-16歳頃より十年ほどか-は母方の叔父-筑前黒田藩士-の許で武芸・軍学に専念。延宝3(1675).4年頃、兄元瑞の家業を助けるためか、帰京した。貞享元(1684)年に上洛した其角と知ったのが縁で蕉門に入る。芭蕉との初会は同3年の冬かもしくは4年の春、江戸において。発句入集は「続虚栗」14句、「阿羅野」14句などを経て、「猿蓑」25句、これは凡兆44句、芭蕉40句に次いで、其角と同数。
「市中の巻」に「いのち嬉しき選集のさた」と自ら言うごとく、「猿蓑」は去来生涯唯一の選集である。宝永(1704)元年、54歳で京に歿。興行当時40歳。

芭蕉 元禄2年9月末、伊賀上野に帰郷した細道の俳諧師は、11月末には早くも湖南に出向いた。京で師走の鉢叩きを聞き、戻って膳所で越年。膳所藩士菅沼曲水を後見-早伴-として、青年珍碩-後の酒堂-に「ひさご」-元禄3年秋刊-を編ませた。4月には国分山の幻住庵に入ったが、7月23日の出庵まで、籠りきりだったわけでもなく、「猿蓑」選集のへの動きはこの時期活発化したと見られる。最後の仕上げは翌4年の4.5月、落柿舎滞在につづいて凡兆宅-京都市上京-で行われた。興行当時47歳。

・凡兆 姓氏・通称・生没、ともに詳らかでないが、許六が「本朝文選」の「作者列伝」に「加州の産なり。医を業として洛に居す」と記している。はじめ加生と号し、発句の初見は「阿羅野」、「猿蓑」選者に抜擢されたのは去来の推挽によるものだろう。「猿蓑」発句の部に最多入集し、歌仙二つの立句-正客-を務めるなどは異例も格別。妻・羽紅も12句入集している。選後の凡兆は次第に芭蕉から遠ざかり、句も亦精彩を欠く。元禄6年から何事かによって入獄し、出後は大坂に移り住んだ。正徳4(1714)年大坂で歿。

・史邦 中村氏、通称荒右衛門。もと春庵と名告り、尾張犬山藩の御抱医。貞享年間、京に出、仙洞御所などに仕えたが、その後浪人して元禄6年江戸に下った。丈草とともに「猿蓑」初見の新人で、元禄3.4年頃の芭蕉側近の一人。同発句の部入集は13句。元禄9年春、追善集「芭蕉庵小文庫」を編み、師の遺文・遺句で初見のものを多く収める。生没年不詳。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−01

  鳶の羽も刷ぬはつしぐれ  去来

刷-かいつくろひ-ぬ

次男曰く、鳶はワシタカ科だが、鷹と違い食性・風采ともに下品なものの喩えにされ、そのぶんかえって庶民の生活になじみ深いとも云えるが、季語ではない。

刷-かいつくろふ-は「かきつくろふ」の転、古く「名義抄」に刷、聖の和訓として挙げ、乱れをととのえる意味の他動詞。したがって誤用と云えば誤用だが、声調上、他動詞を自動詞に転用した例は近世文には珍しくない。多くは漢文の訓読法に由来したものか。

時雨は冬、初−と遣ってもその点に変りはなく、連・俳いずれも陰暦十月の季に扱う。九月わたりに降る一時雨は秋時雨、露時雨などと呼んで区別する。初時雨の気配・自然が、かいつくろった、鳶の羽の印象をととのえた、読むこともできそうだ。中七文字の次に切れをもつ、俳諧特有の表現効果である。

元禄2年、細道の旅を終え、伊勢の遷宮を拝んだ芭蕉はその脚でひとまず帰郷するが、途中の伊賀越えの山中-長野峠だろう-で、「初しぐれ猿も小簑をほしげ也」の句を詠んだ。

去来も「猿みのは新風の始、時雨は此集の美目」と「去来抄」に著している。「鳶の羽の巻」は初巻にあたる。当季当座という挨拶の約束に照らせば、吟会は元禄3年初冬のことであろうが、「鳶の羽-も」と遣い、「はつ-しぐれ」を取り出したところに記念すべき師の吟声に寄せた一年後の唱和だ、とさとらせる興が現れる。

ならば去来の発句は、あの日の野猿に替って今度は吾々があなたの冬ごもりを祝う、と師に告げている送別の句になる、と。


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