たぬきをおどす篠張の弓

Tukinosabaku

―表象の森― 「月の沙漠」と三好康夫翁と

劇団大阪の「月の沙漠」を観た。昨日-7日-の昼だ。

開演10分前に着いたのだが、100ほどのすでに客席は満杯状態、下手端の通路を埋める体でパイす椅子が置かれ、その前から2番目の席に着く。休憩なしの2時間、舞台が近すぎ、演技をする役者を至近距離で観るのが些か辛い。

パンフに演出の熊本一氏が「現代社会の諸問題を作者-橋本幸男(演劇集団和歌山)-一家族に盛り込んだ。だから一つ一つは大変なこと、切実なこと、深刻なことであるが、ここまで描けばもう滑稽なほどだ。作者の試みた容赦ない、ある意味てんこ盛り極端な異化が、現代社会をあぶり出す」と書くように、中年夫婦に二十歳の娘と中三の息子、現代のいかにも平均的な四人の家族に四様、どこにでも起こり得る日常性のまことに深刻な問題を抱え込ませ集約させた、現実の似姿ではあるが、ありそうでありえぬ悲喜劇。

中年の解雇も、若年層の派遣も、ひきこもりや家庭内暴力も、そのDetailにおいて、現実的で、アクチュアルな問題が、それぞれ語られ、演じられている筈なのに、リアル感ではなく、うらはらにシュールな感触に襲われることしばしば、とはいえ抵抗感に襲われるほどのこともなく、役のそれぞれの言葉に行為に、小さな異和があぶくのように立っては消えする‥、まことに奇妙なとしか云いようのない舞台であった。。

「月の沙漠」という名付も解せぬけれど、その表題の傍らにある惹句、
「夢じゃない。ゲームでもない。
      とにかく‥光の射す方へ」
どうやら、問題の根は、ここにありそうだ。

現実の諸問題は、どれもこれも、いまやすでに、あまりにおぞましすぎる。
たしかに、夢でもなく、ゲームでもない、に違いないが、その現実は、背後にはかりしれぬ闇を抱え、すでにわれわれのrealityを超えてある。

ならば、とにかく、光の射す方へ、などと、安直な光探しなど、この現実の、われわれの場所からは、見出しようもない筈ではないのか。
親鸞に倣えば、往相からではどうにもならぬ、往きて還れ、還相に立たねば、この現実、串刺しになぞ、とてもできぬ、ということか。


この日の収穫は、観劇後に、三好康夫翁とめずらしく長談義の機会を得たことであった。
偶々同じものを観ていたのだ。お茶に誘って2時間近くも話し込んだか。終戦後すぐの頃からの大阪の演劇事情など、昔話に花が咲いた。知らなかった翁の足跡など聞くに及び、私の未生-演劇のだが-以前からのことが、いくつか繋がってきた。

話の途中、互の年齢のことになったが、私は今年64歳、先生は?と訊き返せば、なんと88歳になられようとしている。肺気腫C型肝炎と、おまけに糖尿病もある、お年だから泌尿器科にもかかっている、と。毎日薬剤を12錠ほど飲んでいるとも聞いた。薬の副作用だけでも身体にかかる負荷は大きいものがあろうに、矍鑠としたこの気力はどこから湧きたってくるのか、こういう人を前にすると自ずと頭が垂れてくるのもあたりまえのこと。

山頭火を欠かさずというほどに観に来てくれる翁に、もう少し寄り添ってみなくてはいけないな、とそんな想いを抱きつつ帰路についたのだった。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−04

  股引の朝からぬるゝ川こえて 

   たぬきをおどす篠張の弓  史邦

篠張-しのはり-の弓

次男曰く、四句目は平句のはじまり、打添の作りは脇に似て、しかも座を進める役目をする。ことさら故事や本説など持出して困惑を招くようなことは避けねばならぬが、事と場合による。

「宇陀法師-李由・許六編、元禄15年行か-にも「近年四句目・六句目は、点のなき所とて点取俳諧衆嫌ふよし。よき句ならば所にはよるまじ。師戯れに云、点のなき四句目・六句目に秀逸して肝つぶさせたるがよしとて、常に案じられたる事もありけり」と云っている。

句は、其人にひとふし趣を持たせるために衣食住などの素材を取合せる、いわゆる会釈-あしらい-付で、「弓」は「引」-前句-の縁語、「篠張の弓」は篠竹の弓と云っても同じだが、弓張月を匂わせて次句-月の座-への持成とした表現である。

その点を見逃して字面に捉われると、これは藪などに仕掛けた罠の弾き弓だという下手な考に嵌る。露伴以下現代の注釈の殆どがそう解している。

史邦の作りには、必ずや凡兆の起情に見合う地拵えがある筈だ、と考えるべきで、それは東大寺の大仏鋳造に際して、大伴家持が「‥梓弓、手に取り持ちて 劒大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大王の 御門の守り 吾をおきて 人はあらじと‥」と詠んだ、天平感宝元(749)年の歌以外にはない。本-梓弓-あっての末-篠弓-だということに気付けば、しかと骨組が見えてくるのだ。

竹弓を取って醜-シコ-の御楯となる、は俳諧なればこその思付だ。史邦は、及ばずながら吾々も-私も-、と腰を上げたがっている。どうやら興行は「猿蓑」撰を言寿ぐ趣向で始まったらしい、と。


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