さし木つきたる月の朧夜

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−16

  この春も盧同が男居なりにて 

   さし木つきたる月の朧夜  凡兆

次男曰く、年季奉公が根を生やすのは挿木しがつくようなものだ、と人情を景に執成している。むろん、言いたいことは、きみが出替りを思いとどまってくれたお蔭で、挿し木-若木-もどうやら花を持ちそうな気配になってきた、ということだ。

「月の朧夜」はただちに朧月夜ではない。まだ花木になると決まっていない、という不安をこめた微妙な云回しである。

接ぎ木を知って挿し木を知らぬということはありえぬが、前者は「はなひ草」以下に仲春の季とし、後者はとくに採り上げていない。蕪村時代あたりから春に扱った発句が散見する。したがってここは、「月の朧夜」を季と見るべきか。秋以外の月の句は、一歌仙に一つ許される。

「其下男ノサシタル木トミテ、居ナリト言ニ、ツキタルトハヒゞキ也。朧夜トハ当季ノアシラヒナガラ、サシ木ノツキタルヲ未ダ心許ナガル、と言心ニテ朧夜トハ言リ」-秘注-

「前句の男のさしたる木の活着したるなり。‥セン枝の成不成を月の朧夜に見定むるところ、挿し木を念頭に置けるものの情も真に有り、景も真に有りて、下七文字たゞに季節を合せたるにあらず、おもしろし」-露伴-、と。


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