この春も盧同が男居なりにて

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−14

   三里あまりの道かゝへける  

  この春も盧同が男居なりにて  史邦

盧同-ロドウ-、正しくは盧仝

次男曰く、客其人の帰路と解すれば三句が同一人物となるから、客の僕に執成して、主人の使いにやってきたように会釈っている。

たかが三里余の道を「かゝへける」と大儀に云うなら、その下男も「居なり」だろう、と見たところが滑稽のみそである。出替りと呼んで、奉公人は春秋の二度入れ替るのが通例だが-出替は仲春の季語になっている-、居成-いなり-は、年季が明けてもそのまま続いて住み込むことだ。

それにしてもなぜ「盧同が男」なのか、と首を傾げさせるところに作の工夫がある。盧仝-同-は中唐の隠士、玉川子と号し、達識かつ詩に巧み、警句をもって知られ、茶の品別に長く。その盧仝の人品を称えた韓愈の長詩があるが、その結びに曰く

「‥羊ヲ買ヒ酒ヲ枯ッテ、不敏ヲ謝ス。偶、明月ノ桃李ニ耀クニ逢フ。先生、降臨ヲ許スニ意有ラバ、更ニ長鬚ヲ遣シテ双鯉-手紙-ヲ致サシメヨ」-盧仝に寄す-、と。

韓愈が洛陽河南県の県令となった折、県令たる心得を盧仝に諭されるということがあった。これに対し、一献を差し上げて謝意を表したいが、時節もちょうど「明月ノ桃李ニ耀クニ逢フ」頃であるから、かの長鬚-盧仝の僕-をもう一度寄越して、色よいご返事を賜れまいか、と云っている。

史邦が盧仝の名を持出した含はこれだろう。春秋の句は三句以上-五句まで-続という約束があれば、三句後に花の定座をひかえて去来が月を零した段階で、この巻の初裏の月は春で殆ど決まりとなる。

去来先生が春月の興を見せろと云われるが、ぼくは今日の座の走使にすぎない。さいわいきみ-凡兆-が盧仝になってくれるなら、われらが韓愈殿の許へは、さっそくぼくから朗報をもたらそう、と。

去来の譲りはあからさまに凡兆を名指ししているわけではないから、この取持ちの気転はまったく巧いと云うほかないが、そこまで考えると「居なり」にも意味が現れる。大切な役目をひかえて出替るわけにもゆかぬ、ということだ。「かゝへける」との釣合だけで思付いたことばでもなさそうである。史邦という男、芭蕉が凡兆の連に択んだだけのことはある、と。


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