ひとり直し今朝の腹だち

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−18

  苔ながら花に竝ぶる手水鉢  

   ひとり直し今朝の腹だち  去来

直-なおり-し

次男曰く、「秘注」は「小庭ノ手入ニ打紛テ、世事ヲ忘レタル体ヲ附タリ。句ノ機嫌ヲ整タル附ナリ」と云い、露伴も「小庭の手入れに打紛れて今朝の不機嫌のなほりしといへる旧解よろし」と云う。

「猿みのさがし」は、庭せせりする人の起情を風流化するところに付意があるとして、「理なきを理とするとは爰の事にして、前に縁なき句にして、何所となく前の人の行状を思ひやらるる所に縁ありて連続する也、と味ふべし。親しからず疎からず附よといふも、是等の附意にて考ふべし」と説く。

腹立ちが直れば、心も顔も綻ぶ。ひとりでに直れば猶のことだが、「綻ぶ」はとりわけ「花」の伝統的縁語であるから、景の句から人情を引出して二ノ折の起情を図れば、これは適切かつ機敏な目付だろう。

評価の云う後講釈は、話の伸しと見るにせよ、付合における親疎の匙加減にせよ、その点を見落せばまったくの空語になる。

この句はひょっとして、「源氏物語」梅が枝の巻の、「霞だに月と花とをへだてずはねぐらの鳥もほころびなまし」を掠めて春三句と祝言の余情としているのではないかと思うが、「梅が枝」は人口に膾炙した巻でもない。当座、去来の口からこの歌が出たとしたら、の話である。

歌仙は横折懐紙の折目を下にしてその表裏に句をしるし、二枚を綴じて一巻とする。初折の句の終り-折端-と二ノ折の句の初-折立-とが綴目で合うが、先は花の定座の次に当るから、「花の綴目」とも呼んでいる。去来の句ぶりはその名にふさわしく、「花」を莟-つぼみ-と見ている、と。


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