火ともしに暮れば登る峯の寺

Db070509rehea020

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−21

   雪けにさむき嶋の北風  

  火ともしに暮れば登る峯の寺  去来

暮-くる-れば

次男曰く、二句一意に作った島の暮しである。
「雪けにさむき」とあれば、「火ともしに」と起す初五文字の遣い方がまず巧い。「夕べにはともしに登る峰の寺」と云っても意味は同じだが、これでは寒暖の呼応は現れない。連句にならぬのだ。

「火ともしに」と初を取出せば、「暮れば登る」は自然の成行と見えようが、これも「宵から登る」では興にならぬ。「暮れば−登る」情は、「雪けにさむき−火ともしに」と不可分の興の工夫とわかる。

そういうことが、ごく日常的なことを語ったに過ぎぬ一行に、ドラマを孕ませる。言葉とは微妙なものだ。

作者去来は後年-元禄7年-この句について、浪化-ロウカ-宛のなかで、「誰ぞの面影に立申候句にて御ざ候」と告げているが、「雪けにさむき島の北風−夕べにはともしに登る峰の寺」や、「−火ともしに宵から登る峰の寺」などでは、俤の立たせ様もないだろう、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。