壁書さらに「默」の字をませり松の内

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―山頭火の一句―

明治45-1912-年、30歳になる年の句だが、この頃の種田正一はまだ「山頭火」ではない。詳しく云えばすでに山頭火ペンネームにはしていたが、俳号は「田螺公」と称し、他の文芸活動、たとえばツルゲーネフの翻訳などに山頭火を使っていたらしい。むろん句ぶりはまだ山頭火らしさもなく、新風自由律の開眼からは遠い。

防府を中心に前年-M44-から発足した俳句結社「椋鳥会」に参じ投稿していたが、45年の句作はこの一句のみ。

結婚を子どもも設けたにも拘わらず、文芸への志は閉塞の内にあり、彼の心は焦躁にかられ荒んでいたようである。

「もう社会もない、家庭もない‥自分自身さへもなくなろうとする」
「自覚は求めざるをえない賜である。探さざるをえない至宝である。同時に避くべからざる苦痛である。殊に私のやうな弱者に於て」

などと記すこの弱者の自覚は、彼の神経をさらに衰弱へと追い込んでいったか‥。


―表象の森― Performing Artsの30人

狂言と現代劇を繋ぐトータルシアターに挑む野村萬斎
ブレヒトと歌舞伎を股にかける演出家/串田和美
千年の時空を超える仏教音楽「声明」の新井弘順
現代演劇界のニューオピニオンリーダー平田オリザ
知的障害者との舞台づくりを集大成/内藤裕敬
わだかまりを抱えた人々が通り過ぎる「場」を描く青木豪
日本の若い観客に響くギリシャ悲劇翻訳家/山形治江
マンガと歌舞伎と伝奇ロマン活劇のアクション劇作家/中島かずき
舞踊とコンテンポラリーの越境のアーティスト/伊藤キム
独自の美意識に彩られた大島早紀子のコレオグラフィー
マンションの一室をつくり込む舞台美術家/田中敏恵
点と線を繋ぐ独創的な箏演奏家八木美知依
日常から湧き出す妄想の劇作家/佃典彦
欲望のドラマツルギー三浦大輔の軌跡
歌舞伎を支える振付師/8世藤間勘十郎
コンテンポラリーダンス界の異才/井手茂太の発想
社会派コメディの第一人者/永井愛の作劇術
能の音楽から現代へ羽ばたく革新者/一噌幸弘
前衛野外劇のカリスマ「維新派」の松本雄吉
だらだら、ノイジーな身体を操る岡田利規の冒険
身体の極限を問う黒田育世の世界
蜷川幸雄の新たなる挑戦「歌舞伎版・NINAGAWA十二夜
和太鼓と西洋音楽の融合をプロデュースするヒダノ修一
アングラ第一世代/麿赤児が語る舞踏の今
学ラン印の超人気ダンスグループ「コンドルズ」の近藤良平
現代演劇のニュージェネレーション/長筭圭史
栗田芳宏が仕掛けた能楽堂シェークスピア
密室演劇の旗手/坂手洋二の世界
ロック時代の津軽三味線奏者/上妻宏光
金森穰が語る公立ダンスカンパニーの未来

「パフォーミングアーツにみる日本人の文化力」、国際交流基金が運営する「Performing Arts Network Japan」というsiteがあるが、2004年から07年に掲載されたアーティストたち30人へのインタビュー集だ。

60年代から活躍してきたベテランから新世紀になって登場してきたような若手にいたるまで、ずらり並んだ顔ぶれを整理してみれば、劇作・演出系が14人、ダンス・舞踏系が7人、邦楽系が声明も含め5人、さらに狂言、邦舞、翻訳、舞台美術の分野からそれぞれ1人といった構成で、なるほど、この国におけるPerforming Arts-上演芸術-の現在というものを一応眺めわたせるものになっているのだろう。

ただ私にとって興味を惹かれたものは、私自身に近いもの-演劇や舞踊-より、むしろやや遠い世界-演奏や美術-の語り手たちだった。たとえば声明がどのように西洋の現代音楽と出会い、Performing Artsとしての現在を獲得してきたか、あるいは、伝統的邦楽の琴がどんな技術的変容を加えながら西洋楽器とコラボレーションしているか、などの話題であった。

このとりどりの30人の語り手たちの集積によって、なにか新たな地平が切りひらかれつつあるのか、なにがしかの展望が見えるのか、と問うなら、実はなにも見えてこない、なにもないのだ。ひとことで云えば、表現行為なるものは多様性を標榜しつつ、ただたんに消費されるものへとひたすら突き進んできた、そんな現実が横たわっているだけだ。


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