ほとゝぎす皆鳴仕舞たり

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−22

  火ともしに暮れば登る峯の寺 

   ほとゝぎす皆鳴仕舞たり  芭蕉

皆-みな-鳴-なき-仕舞-しまひ-たり

次男曰く、「たれぞの面影」を誘う狙いについて、当座、去来の口から出なかった筈はないと思うが、それはまず後鳥羽・順徳両院の遠流を措いては他にあるまい。
承久3(1221)年7月隠岐佐渡にされざれ遷御、後鳥羽院は在島18年60歳で、順徳院は在島21年46歳で崩じている。切なる還京の願はついに聞入れられなかった。

「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪かぜ心して吹け」-後鳥羽院-
「おなじ世に又すみの江の月や見んけふこそよそに隠岐の島守」-々-

「増鏡」が世に知らせた、隠岐での後鳥羽院の歌は全部で16首、多くはないが、「新古今集」改撰-隠岐本-に日夜ひとり心をくだかれた、御人の憂悶の情は窺うことができる。

「たれぞの面影」は、後鳥羽院と見定めてよいだろう。句は、かくてこの夏もむなしく過ぎてしまった、帰京の願は今年も叶えられなかった、と読める。

承久の乱のはじまりは3年5月15日、嘉時追悼の院宣終結は6月15日、僅かひと月で脆くも事は潰え去った。続いて7月13日、隠岐へ向けて離京。後鳥羽院蜀魂の暦は逝く夏の思い出から始まった、という事実は句作りにとっていっそうの好都合だったに違いないが、工夫の趣向はそれだけではない。

「火ともし」は一家無事・海上安全の祈願から護国の法灯まである、と読ませる去来の句ぶりは、四季それぞれと結んで風情になる。冬を夏に奪うことなどいと容易い句渡りだが、雪が冬の代表的景物ならほととぎすは夏のそれ、片や始動-雪け-なら片や終息-鳴仕舞たり-、と呼応させた奪い方の手並はさすが。

「ほとゝぎす待つ心のみ尽させて声をば潜む五月なりけり」-西行山家集-
「至宝抄」に曰く「時鳥はかしましき程鳴き候へども、希にきゝ、珍しく鳴、待かぬるように詠みならはし候」とあるように、ほととぎすは鶯と共に初音を待たれる鳥だ、ということもむろんこの句の結構には利かされている、と。


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