山の青さをまともにみんな黙りたり

Kuidaoretaro

―山頭火の一句―

大正7年、夏の句であろう。
この年の6月、弟二郎が自殺した、縊死である。

その遺書に
「内容に愚かなる不倖児は玖珂郡愛宕村-現岩国市-の山中に於て自殺す。
天は最早吾を助けず人亦吾輩を憐れまず。此れ皆身の足らざる所至らざる罪ならむ。喜ばしき現世の楽むべき世を心残れ共致し方なし。生んとして生能はざる身は只自滅する外道なきを。」としたため、

「最後に臨みて」と詞書し、
「かきのこす筆の荒びの此跡も苦しき胸の雫こそ知れ」、外一首を遺す。

遺体発見は約一ヶ月後の7月15日、遺書の末尾に記されていた住所先の山頭火に知らされ、直ちに遺体引取に発っている。二郎はこの年31歳、山頭火は37歳である。

「またあふまじき弟にわかれ泥濘ありく」 山頭火

防府大道での種田酒造破産の後、弟の二郎は養子先を離縁されている。行き場を失った彼は、一時、熊本の山頭火の許に身を寄せたらしい。だがその同居も長くは続かなかった。

二郎は幼くして他家へと養子に出され、さらに実家の破産でその家も追われた薄幸の弟である。山頭火とて心痛まぬ筈はない。だが彼の暮し向きではどうしてやることも出来なかったのだろう。悔いはあまりてある。

突然の弟の自殺は、またしても山頭火を不安のどん底に突き落としたようである。胸の奥に仕舞い込んできた筈の、幼い日の母の自殺を思い出させもした。

「私もつまりは自殺するでせうよ。母が未だ若くして父の不行跡に対して、家の井戸に身を投げて抵抗し、たった一人の弟がこれまた人生苦に堪へ切れず、山で人知れぬ自殺を遂げてゐるから‥」

彼もまた死の誘惑に捕われつつ、酒に溺れては泥酔の数々、狂態の日々を重ねるばかりだった。


―世間虚仮― 時事ネタ三題

・世界を圧する中国の養殖事情
イヤ、驚いた、魚介・海藻を合せた中国の養殖生産量は、世界総生産の7割近くも占めているという寡占集中ぶりだそうだ。

世界における漁獲と養殖の総生産量-06年-は、合せて160,106千屯、漁獲が93,359千屯、養殖が66,747千屯という内訳だが、そのうち漁獲17,416千屯、養殖45,297千屯を中国が生産、総量においても62,713千屯とほぼ4割に達する寡占ぶりで、この圧倒的数字には愕然とさせられる。

ちなみに日本では、漁獲4,511千屯、養殖1,224千屯、総量で5,735千屯となっており、2位のペルー以下、インドネシア、インドに次ぐ漁業国ということだが、これら4国を合せても、中国一国を遙かに下回り、43%ほどにすぎないのだから驚き。

環境ホルモンビスフェノールA
内分泌攪乱物質と懸念されてきたビスフェノールA、これを原料としたプラスチック製品の哺乳瓶や缶詰が、ごく微量でも胎児や乳幼児に神経異常など深刻な症状を招くおそれがあるとして、ようやく厚労省が使用を控えるようにと言い出した。

04年にフォム・サールらによる「低容量仮説」が提唱されて以来、大議論を巻き起こしてきたが、このほど-08.5.14付-、国立医薬品食品衛生研究所が「性周期の異常は、ビスフェノールAが中枢神経に影響を与えたためと考えられる。大人は影響を打消すが、発達段階にある胎児や子供には微量でも中枢神経や免疫系などに影響が残り、後になって異常が表れる可能性がある」としたのを受けてのことのようだ。

くいだおれ太郎のモデル
8日夜、とうとう道頓堀の「くいだおれ」が閉店、くいだおれ太郎狂想曲も大詰めを迎えたようだが、その太郎のモデルは、コメディアン杉狂児だった、と。そう云われてみれば、成程、くいだおれ太郎、彼の面影を髣髴とさせるものがある。

浅草オペラからはじまったという彼の役者人生は、大正12年に映画界へデビュー、戦前はずいぶん活躍したらしいが、その英姿を昭和19年生れの私が知るはずもない。

だが、昭和11(1936)年「うちの女房にゃ鬚がある」という美ち奴とのコンビで歌ったコミックソングが大ヒット、一世を風靡しているが、これは映画の主題歌だった筈。

この曲、周りの大人たちがよく口遊んでいたか、ディック・ミネと星令子のコンビが歌った「二人は若い」-昭和10年-とセットになって、戦後20年代の幼い頃の記憶に、なぜだかいまもあざやかに残っている。

おそらく大正末期から昭和初期の「モボ・モガ」時代を、役者として歌手として華やかに活躍してきたであろう杉狂児も、戦後の50年・60年代は、時代劇隆盛の映画界にあって、コメディアンとしてもっぱら脇役をこなしていたが、お定まりの八つぁん熊さん住む貧乏長屋の大家の役などいかにもハマリ役といった感があったものだ。

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