一構鞦つくる窓のはな

Nyuugakuh20

―世間虚仮― ハマスイ、まだムリ?

今春、新一年生となった幼な児の夏休みもこの週末からはじまる。

入学まもなくの頃、喘息とアトピーを併発させてなにかと心配やら厄介をかけてくれたものの、近頃は学校生活にも慣れ、体調も比較的安定しているのだが、さて長い夏休みをどう過ごさせたものかといささか頭を悩ませる。

アトピーはともかく小児喘息を克服するにはなにより体力をつけるのが一番かと、思いきってハマスイに通わせてみようかなどと考えてみたりもした。
ハマスイ、昔は浜寺の海で子どもたちに泳ぎを教えていた、100年の歴史を誇る浜寺水練学校のことだが、ここなら月から金まで毎日2時間、5週間にわたっての本格派だから、かりにここで一夏過ごせれば体力増強に効果てきめんはちがいない。問題はまだ電車通いもできまいから、送り迎えの負担が此方にのしかかってくるのだが‥。

そんなことで現地視察を決行、親子三人で出かけてみたものの、結論は時期尚早と、とりあえずは断念。
浜水で使われる大小3面のプールはもちろん野外だし、炎天下の強い陽射しを避けるものとてなにもない。講師陣は若いOBたちが大勢いるようだから、万一の事故などについては一応安心できようが、この環境下で毎日2時間の水泳は、彼女の現在の体力ではとても覚束ないだろう、もう1.2年待つのが賢明との判断を下さざるを得なかった。

仕方がない、一夏で一気に体力増強のstoryは儚くも潰えたが、されば学校のイキイキ通いと、時々のプール通い、こんなところで、一年生の夏は、ぼつぼつと、だが着実に、たくましく育ってくれ。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>


「鳶の羽の巻」−35

   たゝらの雲のまだ赤き空  

  一構鞦つくる窓のはな   凡兆

人構-ひとがまへ-、鞦-しりがい-

次男曰く、鞦は、牛馬の尾の付け根から鞍につなぐ革具である。面懸-おもがい-や胸懸-むながい-に対して末端のものだが、それを作る一構えだと付けている。

はこびに照らせば、これは、京と九州の関係を、鞍-中心部-と鞦との関係に執成した、気転の思付だろう。こういう寓意には拠所がある。

「牛の鞦の香の、なほあやしう、嗅ぎ知らぬものなれど、わかしきこそもの狂ほしけれ」-枕草子224段-、下敷はこれだ。そのまま、九州自慢を聞いている男の姿になるではないか。嗅ぎ知らぬのは、未見の土地であるからばかりではない。多々良懐古をたよりに去来が案内したがっている地-長崎-が、異臭の地、つまり南蛮紅毛との接点であるからだ。

芭蕉や去来と違って旅好きでもなかったらしい凡兆の、釣られて珍しく心躍らせる様がそこに読取れる。これまた先に、「かきなぐる墨絵をかしく秋暮て−史邦」に「はきごゝろよきめりやすの足袋−凡兆」と付けた-初裏1.2句目-残心の結構な始末だろう。

「窓のはな」もうまい。末の花の座をつとめるなら、作る物は鞦、眺める物は窓先の桜、という見究めは筋が通っている。「一構」もいずれ町外れか村外れにあるのだろうと自ずと想像させる作りで、諸注のように宿場・城下町あたりの眺めをただひろっただけと読んでもはじまらぬ、と。


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