炎天せまるわれとわが影を踏み

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−山頭火の一句−

句は大正7年「層雲」所収の「汗」11句の一。

一ツ橋図書館に勤務するようになってやっと小康を得た山頭火の暮し向きであったが、大正11年夏頃から彼は原因不明の不調に陥っている。頭が重く、ときに頭痛、不眠が続いた。

医者の診断によれば強度の神経衰弱。
「頭重頭痛不眠眩暈食欲不振等ヲ訴ヘ思考力減弱セルモノノ如ク精神時ニ朦朧トシテ稍健忘症ヲ呈ス健度時ニ亢進シ一般ニ頗ル重態ヲ呈ス」との診断書を添え、彼は、当時の東京市長子爵後藤新平宛、退職願を大正11年12月20日付で出している。

遡れば、明治37年2月、疾病の為、早稲田大学を中退したのも、この神経衰弱ゆえであった。当時、防府の実家では、二度にわたって屋敷を切り売り、仕送りは滞っていた。経済不安が心神耗弱のきっかけではあったろうが、彼の無意識に巣くう不安や強迫の念はもっと根深いところにあるものと推量されよう。


―四方のたより― 琵琶のアナクロリズム

夜は琵琶五人の会、会場もお馴染み文楽劇場の3F、小ホール。

今回は幕末物あるいは明治維新物というか、そんな趣向の演目がずらりと並んだ。
新撰組」「坂本龍馬」「井伊大老」「白虎隊」「西郷隆盛

おそらくはこれらの演目が成ってきたのは、明治も後期から末期、富国強兵と殖産興業の掛け声高く、海外雄飛へと意気盛んであった時代だったのであろう。詞が聞くに堪えないほどに月次で、忠君愛国の志を謳い上げる。

近代化の洗礼をきわめて特殊な時代思潮のもとに浴びてしまった琵琶曲の、もっともつまらぬ部分ばかりが際立つ演目の並びは、微かな古層さえ匂わぬ世界としかいいようもなく、この硬直したアナクロリズムにはどうにも辟易させられた。

琵琶界の中堅からすでにベテランの境に達しつつある人たちが、このあたりの問題にさしたる自覚もないのだろうか、この点が不思議でならぬ。


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