こんにやくばかりのこる名月

080209004

―表象の森― 「関係論」−<うつ>という<関係>へ

<A thinking reed> 吉本隆明「心的現象論-5」/「吉本隆明が語る戦後55年-11-」所収

あらゆる枝葉を排除したあとで、人間の現存性を支えている根拠は<わたしは−身体として−いま−ここにある>という心的な把握である。この把握は感性的であっても知覚的であっても、悟性的な識知であってもさしつかえない。

このばあい<わたし>は、さまざまな度合の自己識知であり、それが<身体>に関連づけられている。この自己識知に、<身体>がことさら介入されてこないばあいでも、自己識知の根源としての<身体>は、無意識の前提になっている。<いま>は現在性の時間的な云いまわしであり、<ここに>は空間的な云いまわしである。

このばあいもっとも問題なのは<ある>という概念である。この<ある>という概念は、ふたつの否定的な態様をとりうるだろう。ひとつは、実在性の次元で身体が、客観的に<ある>にもかかわらず<ある>と感じられない-識知されない-ことがありうるということである。もうひとつは、<ある>にもかかわらず<ない>という否定的な志向性に決定的に支配されることがありうることである。例3の「身体に精神が入っていないという漠然とした感じ」とか、例10の「自分が自分のような気がしません」というのが前者の否定性にあたっている。また<うつ>病の不安や罪責感や自殺念慮は、後者の否定的な志向性に決定づけられているようにおもわれる。

「身体に精神が入っていないという漠然とした感じ」や「自分が自分のような気がしません」という訴えは、すべての妄想知覚や類似の症候に共通なもので<うつ>病に固有なものといいがたいだろう。そこで、後者の<ある>にもかかわらず<ない>という否定的な志向性が萌している不可避的な状態が問題となる。

ビンスワーガーのいうように<わたしは−身体として−いま−ここに−ある>という現存性の根源にたいして、<ない>という否定的な志向性が、時間の構成の仕方の失敗あるいは障害によって解きうるものとすれば、この否定は、<わたしは−身体として−いま−ここに−ない>という表現によって表象されるだろう。

しかし<いま−ここに−ない>ものが、<いま−ここに−ある>ということを否定的に志向したりすることは、矛盾としか云いようがない。そこでこの否定的な志向は<わたしは−身体として−いま−ここに−ある>−<ない>という時間的−空間的な<自己了解づけ>と<自己関係づけ>の総体にたいする否定的な志向となるほかないだろう。

これは自然過程の否定として「自然現象」に属するだろうか? わたしには、そうおもえない。

<わたしは−身体として−いま−ここに−ある>という現存性の識知は、その次元を自己の<身体>にたいする自己の<自己了解づけ>と<自己関係づけ>の位相においている。これは、「自然現象」でもなく「観念現象」でもなく、いわば、自然−観念現象に基づいている。自然−観念現象の次元に、人間の人間的存在の次元があらわれる。

そこでは人間は生物だけでもなければ、観念だけの幽霊でもない。この自然−観念現象の次元で<わたしは−身体として−いま−ここに−ある>という現存性にたいする否定的な志向性は、現存性の<自己了解づけ>、いいかえれば時間的な志向性の否定と、<自己関連づけ>、いいかえれば現存性の空間的な志向性の否定とを包括せざるをえない。<わたしは−身体として−いま−ここに−ない>ではなく、<わたしは−身体として−いま−ここに−ある>−<ない>とあらわされるような、総体にかかる<ない>の志向である。

これは、もっともふさわしい形では、<自己了解づけ>の正常な逆立と、<自己関連づけ>の縮小や消滅によって記述的に表象される状態のようにみなされる。そして<自己了解づけ>の正常な逆立は、<過去>へ逆行しながら<原過去>へではなく、<過去>へ逆行しながら<現−現存性>へという時間的な構成によって、もっともよく表象されるようにおもわれる。これとともに<自己関連づけ>の縮小や消滅は、<自己を自己として受け入れる>ことの縮小や消滅であるために、現存性の占める空間的な意識は縮小または消滅する。

なぜそうなるのか? それを問うことは、あらためて、べつの次元からなされなければならない。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−14

  終宵尼の持病を押へける  

   こんにやくばかりのこる名月  芭蕉

次男曰く、初裏八句目は月の定座だが、前に「終宵」とあれば仲秋の名月である。
「終宵」は、「ひたといひ出す」の移りを、併せて次句に対する持成ともした詞だ。月見の宴も夜の白みかかるころともなれば、一人消え二人帰り、のこったものはこんにやゃくばかりと読んでよく通じる。

但し、それだけでは前句とのつながりにならない。観月の興の最中の突発事とみれば、一座した尼の癪押えを買って出たばかりにせっかくの酒肴から外れてしまった男の滑稽になる。

しかし、それにしても句の表面のことで、「こんにやきばかりのこる」は揉みほぐされて癪のしこりの跡形もなく消え失せたことを、軽妙に含ませた云回しに違いない。これでもう大丈夫と安堵させながらも、何となくまだ老尼の介抱から手を抜けないでいる男の、宴と尼と双方に引かれる心理がじつに面白く描かれている。

陰暦八月十五夜の月は、名月は名月でも月面平滑な月ではない。古来、名月に玉兎を見るゆえんである。とりわけ明け方知覚ともなれば月面の光は薄れ、凹凸がくまなく見える。

句は、どうやらそこを言っているらしく、癪も一段落したあと、放心して眺める月も亦「こんにやくばかりのこる」風情である。その月を仰ぎ、食べ散らされた宴のあとを横目で見遣り、指先ではしこりの消え具合を確かめている男の、諦めとも満足とも恨めしさともつかぬ滑稽を的確に捉えて、これはなかなか哀感の深い句作りだが、芭蕉が言いたいことは、「禍を転じて福となす」だろう。癪押えを買って出たお蔭で、しみじみと母の面影を偲びながら老尼と二人、本当の月見が出来たと言っている。「軽み」狙いの面目躍如たる作りで、こんな名月の句は他に例を見ない、と。


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