はつ雁に乗懸下地敷てみる

Alti20060152

―世間虚仮― 暑熱の中で

天気予報では今日一日は猛暑も少しやわらぐと言っていたかと思うが、いやなんのその、暑い、暑い。

そんななかを小一のムスメ殿は、学童保育ならぬ校内保育のイキイキ活動の遠足とかで、朝からウキウキルンルンとお出かけあそばした。

この炎暑の中を何処へ行くものやらとプリントを見れば、「下水道科学館」と「なにわの海の時空間」見学とある。成程、行政施設ならば子どもは無料、おまけに施設内は空調も効いてさぞ快適だろう。こんな行程なら熱中症の心配もなく、参加費400円と超安上がりの企画で、おそらくは市の補助費もあるのだろう。

此方はと云えば、茹だってばかりも居られず、ひさしぶりに理容へと出向いた。頭がさっぱりして、ちょっぴり気分も爽やか、暑さ呆けの脳内のほうもなんとなくクリスタルになったか‥?


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−15

   こんにやくばかりのこる名月  

  はつ雁に乗懸下地敷てみる  野坡

乗懸-のりかけ-

次男曰く、初雁は連歌以来仲秋の季とされ、とりわけ八月十五夜に渡り始めるとする言い伝えがある。

時季を見込んでまず名月から初雁を引き出したとも読めるが、俳は「こんにやくばかりのこる」を見咎めて「乗懸下地敷て見る」と作ったところだ。しこりのほぐれを確かめる手振りを、下地の敷具合を試す手段に移した。もうこれで大丈夫という付である。「―敷て見ん」「−敷にけり」では、この満足感の醍醐味を伝える笑いは生まれぬ。

乗懸は、振分にして荷駄20貫を積み、人ひとりを乗せて運ぶ駅馬で、下地は鞍代りの敷物である。旅愁を誘う句ぶりは、「三五夜中新月色、二千里外故人心」-白氏文集、和漢朗詠集-の銀興なしとせぬ作りだろう。癪もようやく収まった尼を旅中の人とみて、介抱の男が早暁なにくれと宿立ちの仕度を調えてやっていると読んでもよいが、必ずしも実景と解する必要はなく、「乗懸下地敷てみる」そのものが旅心の表現だ、と。


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