町衆のつらりと酔て花の陰

カール・マルクス (光文社文庫)

カール・マルクス (光文社文庫)


―表象の森― マルクス疎外論

<A thinking reed> 吉本隆明カール・マルクス光文社文庫より

フォイエルバッハの宗教についての考察-「キリスト教の本質」-と、ヘーゲルの「法哲学
 → マルクスの「経済学と哲学にかんする手稿」

・若きマルクスにとって、ドイツでは、宗教についてはフォイエルバッハの考察が、いわば群鶏中の一?として彼の眼前にあった。法・国家哲学についてはヘーゲル法哲学がそびえていた。

・個人としての人間が、生誕しそして死ぬというかたちでしか繰返されないのに、人間の類-人類-という概念がなぜ成り立つのかを、ギリシア自然哲学から、とくに青春前期に執着したエピクロスから学んだマルクスの「経済学と哲学にかんする手稿」から辿りなおすならば、
<疎外>あるいは<自己疎外>という彼の概念は、その<自然>哲学のカテゴリーから発生したもので、じかに市民社会の構造としての経済的なカテゴリーから生まれたものではないことに注意すべきである。

全自然を、自分の<非有機的肉体>-自然の人間化-となしうるという人間だけがもつようになった特性は、逆に、全人間を、自然の<有機的自然>たらしめるという反作用なしには不可能であり、この全自然と全人間の相互の絡み合いを、マルクスは<自然>哲学のカテゴリーで、<疎外>または<自己疎外>と考えたのである。
これを、市民社会の経済的なカテゴリーに表象させて労働する者とその生産物のあいだ、生産行為と労働-働きかけること-とのあいだ、人間と人間の自己自身の存在のあいだ、について拡張したり、微分化していても、その根源には、彼の<自然>哲学がひそんでおり、現実社会での<疎外>概念がこの<自然>哲学から発生していることは疑うべくもない。

マルクスにとっては、フォイエルバッハのように、<自然>は、人間と自然とに共通な基底ではなかった。それは<非有機的身体>と<有機的自然>として相互に滲潤しあい、また相互に対立しあう<疎外>関係であった。私の考えでは、フォイエルバッハが、あたかも光を波動と考えたとすれば、マルクスはそれを粒子という側面で考えてみたのである。それはマルクスギリシア<自然>哲学の原子説を生かしきったことを意味している。フォイエルバッハの<共通の基底>を、<疎外>にまで展開させた大きな力は、紙一重の契機であった。

フォイエルバッハのいう人間と自然との<基底の共通性>から考えるなら、人間がまだ自然人であったときには、神もまた自然神であり、人間が建物に住んでいるときには、神もまた神殿に住んでいる。神殿というのは、人間が家屋を美しくしたいと考え、もっとも美しい家屋と認めるものが作られているにほかならないので、べつに神が住んでいる家屋ではない。なぜなら、神は、人間が自己意識を無限であり、至上であると考える意識の対象化されたもので、もともと人間の自己意識のなかにしか住んでいないからである。

人間が<宗教>の意識の内でやることは、自分の本質を対象化し、この対象化した本質を、ふたたび自分の対象にするという過程である。いいかえれば人間は<宗教>において自分の本質を自分の外へ投げ出し、その投げ出した本質を自分の中に採り入れる。

<芸術>の意識もまた、人間が自分の本質を自分の外に対象化し、ふたたび自分の対象にすることではないのか? これについては、フォイエルバッハは、<宗教>と<芸術>の意識の違いとして説明している。

宗教−ことにキリスト教のような一神教では、人間の本質を無限のものと考え、至上のものとするという自己意識は、ひとたび無限者としての神-キリスト-として外化され、それがふたたび自己意識の中にかえってくる。だから、神は無限者であるとともに人間であるという両義性としてあらわれる。しかし<芸術>の意識は、人間の現実的な本質を、至上のものであり、無限のものであるとする自己意識が、<作品>となって外化され、それがふたたび自己意識にかえってくる。<作品>にはその意味で人間の意識にとっての両義性は存在しない。

べつの言葉でいえば、<宗教>は神を至上物として外化するから、自己意識にとってあたかも神が第一義のものであり、それを外化した人間は第二義のものとなる。しかし<芸術>では、人間の現実的な本質を至上物として考える意識が外化され、それが自己意識にかえってくるから、あくまでも自己を至上のものとする意識の幻想性として一義性である。

フォイエルバッハによれば、キリスト教がすぐれた宗教的芸術を生みだしえないのは、その一神教的な性格が、芸術そのものと同質でありながら、こういった神を至上のものとする意識と人間を至上のものとする意識とが矛盾をつくりだすからである。<芸術>や<学問>の源泉でありうるのは、多神教あるいは偶像崇拝あるいは、汎自然の意識だけであり、一神教はそれ自体で芸術と矛盾する。

マルクスの<自然>哲学の本質にある<疎外>または<自己疎外>の概念は、レーニンスターリンも、毛沢東も知らなかった。

・私は、個人がたれでも誤謬を持つものだということを、個性の本質として信じる。しかし、誤謬に普遍性や組織性の後光をかぶせて語ろうとする者をみると、憎悪を感じる。なぜならば、それは人間の弱さを普遍性として提出しようとしているからであり、弱さは個人の内部に個性としてあるときにだけ美しいからだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「梅が香の巻」−17

   露を相手に居合ひとぬき  

  町衆のつらりと酔て花の陰  野坡

次男曰く、初裏十一句目、花の定座。

「露」を「花の露」-花の傍題-に執成し、季移り-秋−春-としてはこんでいる。
この季移りは野坡の判断というよりも、芭蕉の計算の内に先刻あったものだが、二句続の虚の作りを実に取り戻すために町役総見の花下遊楽としたところが思付である。

居合の太刀捌きはまず横に払うものだ。相手が露なら、一閃そこに連珠が出来るだろう。それを露が酔うたと見て、「つらりと酔て」に移している。ならば「つらり」は、意味はずらりと並ぶことだが、濁って読むわけにはゆかぬ。因みに「つらり」は、狂言あたりから生れた当世言葉である。諸注が「づらり」と表記しているのは居合抜を知らぬからだ。

「花の陰」がうまい。季移りにあたって、「露を相手に」から工夫した詞映りに違いないが、ただ酔う酔と居合を観て発する酔とでは、花見酒も陽と陰の差がある。「つらりと酔て花の陰」は、酔客の眼の据り様までも言い得た表現だろう、と。


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