ひとの粧ひを鏡磨寒

080209006

Information<四方館 Dance Cafe>

―四方のたより― 東京での一日、遅まきながら‥

トンボ返りだった東京の一日、時間潰しには美術館があつまる上野公園界隈がおのぼりさんには最適とみえる。私もまた午前中をかけてゆっくりと、六波羅蜜寺の仏像展をしていた国立博物館と、東京芸大美術館の狩野芳崖展を観て過ごした。折しも東京都美術館で開催中の、日本初公開5点を含む過去最多の7点を集めたというフェルメール展はつねに時間待ちの表示が出る人気ぶりだったが、こちらは雑踏を避けて願い下げにした。

午後には下北沢へ移動、スズナリをはじめ本多劇場系の小劇場をいくつか見分してみたかったのだが、生憎といずれもレハや仕込の最中とて、これは叶わず徒労に終わった。

高層マンションの1.2階部分をあてた両国のシアターΧは、劇場としては天井高さも充分で舞台も広くとって申し分ない空間。客席は300と、もはや小劇場の範疇ではない。

劇団らせん館の「出島」は、以前にビジネスパークのMIDシアターで観た「サンチョ・パンサ」に比して、ずいぶんと判りやすい世界になっていた。今にして思えば、MID上演の時は、近畿大学碓井節子が率いる舞踊研究室の学生たちによるDance SceneとCollaborationの試みをしていたからだろう、場面の展開に緊張感を欠き、嶋田演出の狙いが散漫になっていたものとみえる。

ただ、彼らの言葉への手触り-Imageを大胆に突出させようとする発語としての手法-のあり方は、ドイツ語や英語の場合のほうが、きっとずんと面白いのではないか。強弱accentでもなく、母音も子音も同じ長さの等時拍たる日本語ではいささか疑問がのこる。どうしても私にはいま少し異和がつきまとうのだ。このあたり、まだまだ工夫をして貰いたいという思いがする。

たしかに「出島」にせよ「サンチョ・パンサ」にせよ、脚本の多和田葉子と嶋田三朗君たち「らせん館」がMotifとする異文化との出会い、衝突のなかに描き込んでいこうとする人と人との齟齬や捻れや、はたまたSympathyといった諸々の出来事は、まさに現代的な劇宇宙でありうるだろう。その意味で彼らの実験的作業と手法は存在価値があると云える。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−02

  炭売のをのがつまこそ黒からめ  

   ひとの粧ひを鏡磨寒  荷兮

次男曰く、「粧ひ」はケワイかヨソイか、ヨソイと読んでおく。「磨寒」は、板本に「トキサム-トギサム-」と振仮名が施してある。

「つり合専-もっぱら-にうち添て付るよし」とは「三冊子」が伝える芭蕉の言葉で、脇句つまり亭主たる心得の基本であるが、ほかに対付、違付、比留-ころどまり、頃字を以てする時節の付-をも「むかしよりいゝ置所」として挙げている。

この脇は、その対付の一体だろう。但し工夫は惟並べただけでなく、発句に問答を誘う態があると見て応じた滑稽で、発句を鏡磨-とぎ-の、そして脇句を炭売のことばに当てて読めばよくわかる。

重五の句作りについて云えば、「おのが」は「炭売」に切字のはたらきを利かせ、併せて十七音を整えるための挿入の云回しに過ぎないが、荷兮は目ざとくその三文字を見咎めて問答体に奪っている。掛合によって滑稽の骨を研ぎ出す式の作りになっている。転合といえば転合だが、打添うことを知らぬわけではない。わざと外している。談林調の名残といえばそこが名残だろうが、このブラック・ユーモアは現代人の眼には反って新鮮に映る。

磨鏡は古くはカタバミやザクロを用いた。元禄頃から水銀に砥粉を混ぜ、梅酢をこれに加えて研いだらしく、とくに寒磨がよいとされた。片や他人の暖のために、片や他人の粧のために、そのどちらもが玄冬の稼ぎであるというところが味噌だが、憎まれ口をたたき合う下からは寄合心理も覗いているから、見て見ぬふりをした妻恋の情がいつのまにか立ち戻ってきて、活かされている。しかも、句姿はあくまでも寒酸、芸のある相対付だろう、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。