花荊棘馬骨の霜に咲かへり

Alti200641

Information<四方館 Dance Cafe>

―世間虚仮― ねんきん特別便届く

つい二、三日前だが、とうとうというか、やっと、この私にも「ねんきん特別便」なるものが届いた。送り主はもちろん畏れおおくも社会保険庁殿。

恥ずかしながら以前から自身の年金手帳をどこへやったものか見あたらず、出先の社会保険事務所へ出向いて再交付申請をせねばなるまいと思っていたのだが、とそんなところへ一日千秋(?)の特別便。

もう十年以上前か、なにせ異動の多かった半生ゆえ手帳片手に保険所窓口で一度詳細を調べたこともあるが、受給資格にはなお5年近くの期間不足があったかと、そんな記憶もあるのだけれど、この便によれば32の月数不足となっているのが判明。

ならばと、社会保険庁の年金siteを尋ね歩けば、昭和40年4月1日以前に生れた者は70歳になるまで、受給資格を満たすまで特例的に任意加入できるとあり、その窓口はと云えば当該市町村の年金係である、と。

なんのことはない、区役所へ出向いて任意加入の手続きを済ませればよいわけだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−03

   ひとの粧ひを鏡磨寒  

  花荊棘馬骨の霜に咲かへり  杜国

荊棘-うばら-、馬骨-ばこつ-

次男曰く、鏡は研ぎ直せばふたたび映る、そこを見咎めて「咲かへり」と作っている句だが、見合う花に刺あり芳香ありかつ白色の野花を以てはたところが案外苦心のあるところで、前句に「粧ひ」だの「鏡」だのとあったからだろうが、それでも「花荊棘」とは咄嗟には閃かない。まず感心する。そしておもむろに「寒」の韻字止を案じて、「馬骨の霜」と作っている。発句・脇と二句でよいところを、敢えて三句まで冬の季続を伸ばした興のゆえんだろう。

そう読んでくれば、この「馬骨の霜」が一句の警策であって、霜柱の枯痩の状態を晒されて山野に散らばる骨にでも見立てたか、ということは容易にわかる。

当時もてはやされた作詩指南書に宋代の「詩人玉屑」があるが、これに「片言を立ちて以て要にするは、乃ち一篇の警策なり」と説かれる。このあたりに会得した用辞の工夫であったと思う。杜国のこの句に限って云うのではない。「虚栗」「冬の日」時代の語法のすべてにわたって、云えることだ、と。


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