うきははたちを越る三平

Alti200611

Information<四方館 Dance Cafe>

―世間虚仮― Soulful days -6-

RYOUKO、RYOUKO、RYOUKOよ
おまえは、まだ宙吊りのままに、空のなかほどにあって
焼き尽くされ、小さな器に盛られた
おのが骨片を、見ているのだろうか


RYOUKO、RYOUKO、RYOUKOよ
あの一瞬の出来事、あれはいったいなんだったのか
おまえにわかるはずはなく、呑み込めるはずもなく
ただただ、怪訝な面付きで、おのが骸を眺めやるしかないおまえ


RYOUKO、RYOUKO、RYOUKOよ
あの瞬間、思いもよらぬ衝撃に、うすれゆく意識のなかで
おまえの網膜に映じたのは、どんな像であったのか
ベッドの上でひたすら眠りつづける姿を見たときから
詮なくもただそればかりを想い、考えるしかないオレなのだ


RYOUKO、RYOUKO、RYOUKOよ
すでに此方と彼方に分かたれ、けっして交えぬ場処にあれば
応えられるはずもないおまえに、投げつけることばの数々は
虚しく空-クウ-にひびき、この身に還っては、ただ墜ちくるばかり


RYOUKO、RYOUKO、RYOUKOよ
おまえは成仏なぞするな、浄土へなぞ往かずともいい
これからはずっと、オレの傍にいろ
これからはずっと、このオレにべったり、貼り付いていればいい


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−10

  おもふこと布搗哥にわらはれて  

   うきははたちを越る三平  杜国

越る=越ゆる、三平-マルガホ-と読む

次男曰く、「布搗哥にわらはれ」る人を、男-隠居-から女-嫁入口のない-に奪った付。はこびの常道だが「おもふこと」の憂さを「はたちを越る三平」と作ったところは、やはり巧い。

三平二満は黄山谷の「四休居士詩序」に見える。額・鼻・頤は平らで両頬のふくれた顔を云う。「三平二満」は本来ほどほどの満足を表す譬えで、不美人というわけではない。

「越人注」に「三平-マルガホ-」を「見悪き顔也」と云い、そう解している注釈が多いが、不器量では句が死ぬ。マルガホは良い訓みだ。

露伴も「容貌の不美をいへること論無し。ただ三平は平顔と訓まむかた当るべく、又円顔は必ずしも不美ならざれど、当時の俗、瓜枝顔を尚みて円顔を好しとせざりしより、円顔とは訓みしなるべく、相伝の訓とおぼしければ今の意を以て古来の訓を改むべからず」と云う。

マルガホが相伝の訓かどうかはよくわからぬ。自分では嫌な顔だと思い、他から見ればかわいい顔、という気味合が「三平」にはあるだろう。この食い違いを捉えて朋輩たちが可笑しがる。そんなに気にすることないわ、「二満」省略を含として利かせた作りと解しておく、と。


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