門守の翁に帋子かりて寝る

080209007

Information<四方館 Dance Cafe>

―四方のたより― 稽古も酣

昨日-23日-は、21日の日曜につづいて稽古。
21日が、谷田順子さんの気功ワークの2回目で、前回同様3時間ほどを要したから、「襲?」へと向けた本格的な稽古は、今日かぎり、Dancerたちそれぞれ、どんな見通しを立てられるかは、この日が生命線だ。

忙しいはずの清水-デカルコマリィ-君も時間をやりくりして12時半頃駆けつけてくれた。おかげで全体の構成、その概容は見わたせた。

短い1分ほどのBalletを5箇所挿入することで構成づけたのだが、その役を担うありさは、自分なりに懸命に考えて細かく振りを使い分けているが、もう身も心いっぱいというのだろう、今朝はダウンしたとかで、これまた12時過ぎに推参、彼女のペースに気を配りつつ、稽古に加えていく。

午後4時過ぎ、会場となる九条のMULASIAへと、みんなで下検分に。
4本の白木柱の間隔が思ったよりずっと狭いのに驚いた。以前に見ていた筈の私の記憶もずいぶんと好い加減なものである。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−13

   火おかぬ火燵なき人を見む  

  門守の翁に帋子かりて寝る  重五

門守-かどもり-、帋子-かみこ-紙子、紙衣のこと

次男曰く、初裏も七句目、前句の作りには話の一つも誘う体があると見て、無常迅速の趣向を持ち出している。主人亡き家に偶々一夜の宿りを請うた旅人の観相、とでも読んでおけばよい。

炬燵に灯も入れぬぐらいなら着て寝る紙子もなかろう、というのは陳腐な思付に過ぎまいが、「かりて寝る」と治めたところが工夫だ。つれて、貸す人の位の釣合は「門守の翁」だと作っている。

故人は生前何らかの縁につながる人ではないらしい。それだけにいっそう、回向の情が「かりて寝る」に沁み渡る。仮の世にふさわしいのは借着だ、と含ませた作りで、「火おかぬ火燵」も掘炬燵ではなく置炬燵と見ているのだろう、と。


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