血刀かくす月の暗きに

Alti200625

Information<四方館 Dance Cafe>

―世間虚仮― Soulful days -8-

交通事故というもの、どんな場合も偶然に満ちたものであり、僅かなスキ、ほんの些細なミスから起こるもので、運転手双方に故意はまったくないものだから、事故当初から、その甲乙いずれに対しても責めたり恨んだりの気持はもつまいと思ってきた。

それぞれほんの小さな過失で、第三者-この場合搭乗者-に瀕死の重傷を負わせたり、死に至らしめたりすれば、常人なら良心の呵責はとても大きく深いものがある筈で、その負い目は生涯にも及ぶものになろう。それが人としての自然な心だろうし、またその呵責は当事者にしか計り知れぬものでもあろう。
そう考えれば、家族として責めることも恨むこともあるまい、自身の痛みや悲しみを他のものに転化してしまっては、自分自身をも見失ってしまうことになるのだ、と。

ところが、事故の相手方の運転手は、まだ29歳の若者だが、14日の夜、西警察署からRYOUKOの死を伝えられるまで、病院に来ることもなく、連絡もしてこなかったのである。

私の推測では、保険屋などがいうところの「交差点での事故は、右折車7割、直進車3割の過失割合」の常識から、自分にはほとんど過失がなく、自分もまたむしろ被害者なのだというすりかえの論理で、RYOUKOの悲劇を直視せず、おのが眼と心を閉ざしてきたものと思われる。

近頃の若者に特有のジコチュー論理とでもいうか、僅かなミスであれ、それが惹き起こした悲惨な現実から眼を背ける、とんでもない甘えの構造だが、これをそのまま黙って見逃すわけにはいかない。
そこでひとまずは、彼に対し、次のような一文を書面で送り付けた。


君はいったい、なにを考えているのか。
君はどうして、RYOUKOが死ぬまで、西署からその報を聞くまで、なんら動こうとしなかったのか。

事故当初の夜、私は、君と、君の身元引受人と覚しき伯父ご夫婦とから、挨拶を受けた。
その時点では、私もRYOUKOの容態についてなにも知らず、なにも判らないのだから、「今日のところはお引き取りください。判ったらお知らせします。」と言って、帰ってもらった。
翌日、その容態について、医師から聞かされたことを、あらまし君に電話で伝えた。
その肝心なキーワード「硬膜下血腫」を言い忘れたから、再度電話をして伝えおいた。
この語を調べさえすれば、ほぼ容態について、また今後の推移について、およそ見当がつくものと思われたからだ。

然るに、君はなんの行動も起こさなかった。
いや、厳密に言うなら、その日の午後、一度だけ私の携帯に電話を寄越している。
だが、私は電話に出なかった。というのも、その時、携帯を持ち忘れたまま、病院に行っていたからだ。
着歴を見て、君から電話があったのを知ったが、とくに留守電に伝言が入っているわけでもない。私に用があるならあらためて掛けてくるはずだから、私から応答する必要はない。これが9月10日の午後のことだ。

それから、4日のあいだ、RYOUKOが死んだのは9月14日の午後7時14分、それまでのあいだ、事の重大さを知りながら、見舞にすら来ず、家族への一言の挨拶もなく、ただ打棄ってきた。
こんなことは常人のなすことだろうか。
事故は、当該運転手の僅かなミス、些細な不注意で起こるものだ。だれも故意に起こそうとして起きるものではない。その意味では、偶然性に満ちている。だがその小さな過失が、多大な、とんでもない不幸を招く。一人の無辜の人間をこの世から抹殺してしまうこともある。

小さな過失が招いた取り返しのつかない事態を、君は直視せず、4日の間ずっと自分の眼を閉ざし、なにも動かなかった。
事故を引き起こした当事者でありながら、君にはいっさい過失がないとでも、のうのうと言うつもりなのか、そんなことは法においてさえありえないというのに。

その挙句、西署から死の報を受けて、ただちに駆けつけるでもなく、電話で「通夜、葬儀の日時を」とはなんたる挨拶、なんたる言い草か。
そんな君に、「どうぞ焼香のひとつもあげてやってください」と、遺族が応えてくれるとでも思っていたのか。
君は、人として為すべきこと、すべてを打棄ってきた。

どう思っているのか、いったいなにを考えてきたのか。
君には、良心の呵責というものがないのか。
法は法、人倫は人倫、
君が、倫に外れた、このままであるかぎり、私たち遺族は、君を許すことはできない、ありえない。
  2008/09/23  RYOUKO父記す。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−14

  門守の翁に帋子かりて寝る  

   血刀かくす月の暗きに  荷兮

次男曰く、一度の宿りを請うた男の素性はただの旅人ではなかった、と外して付けている。

添付に違いないが、月の座につけこんで、このすさまじさの演出ぶりはいかにも荷兮らしい。月は四季通用ということを利用したとはいえ、いきなり冬−秋の季戻りに仕立たのも力業である。

「一句明らかに解を要せず。前句とのかかりも亦おのづから明らかなり。家中の若者なんどか、徒士若党の類なるべし、と旧註の云へるはよろし。例の演劇ぶりの着想なり」-露伴-、と。


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