釣瓶に粟をあらふ日のくれ

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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―世間虚仮― Soulful Days-14- ヒロイズムと‥

事故の起きた9月9日の夜から、ひと月と1日が経った。
明日はもう四七日。

RYOUKOの母親、つまり嘗ての細君という人は、激しいほどにheroismの人、女性だからheroine主義というべきか、であった。そうさせたのは、私の知るかぎりにおいて、彼女の数奇な生い立ちゆえとしか考えられないのだが、いまはそのことに触れない。

ヒロイズムとは、裏返せば、おのが逆境を生きるバネとする、あるいは供犠の精神に富む、受苦-passion-の人であるが、往々にしてそのpassionは他者-概ね周囲の者-への刃となって奔出する。

突然の、RYOUKOの事故死、その逆縁に、家族のそれぞれが言い表しようもない痛みと哀しみを抱え込んでいるが、同じ家族だからといって、その痛みや哀しみは三者三様のものであって、そう容易くは共有できるものではない。そんなことは家族といえども別人格なのだから自明のことだ。

ましてや母親である彼女と父である私とは、もう20年も前に他人となるべく道を違えてしまったのだから、何を況んやであろう。その後も家族としての幻想のうちに生きてきた母と弟は、たがいの心の支え合いのなかで、いくらかの共有感をもちうるだろうが、それもたがいに相手をいたわり慮ってのことだ。

そう、慮ってやることができるだけだ、他者に対しては。

いまにして思えば、RYOUKOは、とても健気な娘だったのだ。
父と母の、まるで陰と陽の激しい相剋の影にありながら、あかるく素直に、心やさしく育っていった女の子は、どんなに躓いても、善なる心で人を愛し、だからこそ父も母も、だれよりも愛おしむことができ、ほんとうはいっぱい淋しかったのに、健気に、健気に、生きてきたのだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−26

  賤の家に賢なる女見てかへる  

   釣瓶に粟をあらふ日のくれ  荷兮

次男曰く、前句を日暮帰家と見込んだ、同一人物-「見てかへる」人-の付。

「釣瓶に粟をあらふ」とは、賤家で賢女を見かけたうれしさの移りである。家に戻ってきたが最前の興はいまだ消えず、何かをしないではいられない。その何かを、米ならぬ粟を、桶ならぬ釣瓶に入れて洗う興で現している。洗う人は男だろうと覚らせるところにも、思いがけぬ興の誘いが仕組まれている。

見て戻るまでの時間の経過があり、その間の心の弾みをどういう形で表現しようかと考えている人のさまも見え、洗う物を「粟」、容れ物を井戸から水を汲んだままの「釣瓶」と定めるまでには、けっこうあれこれ趣向のたのしみがある。これは侘茶の心の遣い様に通う。尾張衆らしい句作りでもある。

「釣瓶に粟」は即興に違いないが、この即興は単なる思付ではないらしい、と仕度の裏の工夫を読み取らせるところがこういう句の面白みだ。

前句に「賤の家」とあるから「粟」を付けた、というような読み方をすると全く味気ないものになってしまう。況や、貧しくて洗桶もない、などというのは話のほかだろう。故事の一つも探らせるように仕向ける句-前句-に付けて、そのてに乗らずはこびを日常平凡な場に取戻したところもよい。佳句である、と。

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