つゞみ手向る弁慶の宮

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―四方のたより― ポカラ・きしもと学舎だより

先月中旬の発行の筈だった「きしもと学舎の会だより」-Vol.10-を1ヶ月遅れでやっと仕上げ、どうにか発送にこぎつけた。これも突然降りかかった悲劇の所為だが、ひとまずはやれやれである。

岸本康弘は5月末、例によってほぼ半年ぶりにネパールから帰国して以来、いまなお宝塚の自宅に不自由な身をかこちながら暮らしている。ここ数年はそのパターンを繰り返すばかりだが、さすがに身体の方は衰えが目立つ。

会報の挨拶のなかで、「この正月に肺に穴が空いて咳が止まらず、ポカラで一週間ほど入院」したと、岸本自身も書いているように、またいつ倒れるやもしれぬといった危機を抱えながらの、学舎の維持運営である。

長年にわたったマオイストらによるネパールの民主化騒動もやっと平和的解決をみて、「ネパール王国」から「ネパール連邦民主共和国」へとなったが、長く続いた内乱状態にひとしい治安の悪化は、主要産業たる農業と観光を疲弊させ、国家経済に深刻な影響を与えたまま、とくに観光産業の復興はいまだ険し、といった感がある。

「ポカラきしもと学舎」とともに、車椅子の詩人岸本康弘の苦闘はなおもつづく。


詩「苦痛の竿先」
ぼくの左手はいつも
針の筵のような
しびれの激痛に包まれている
一〇〇キロの鉛を提げているようだ
それに
しびれて立てないのだ
これさえなければどんな辛抱でも、とよく思う
そうだろうか
別の苦痛が襲ったら
やはり
なんとかしたいと喘ぐだろう
甘受できるほど心は大きくないにしても
ひたすら辛抱しつづけていると
苦痛の竿先に
いのちの免罪符が見えることがある
そのとき
執着を昇華させてくれる佳人に会った気がする

   ―岸本康弘詩集「つぶやくロマン」所収―

「きしもと学舎の会だより」-Vol.10-は此方からご覧になれる。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」−28

  はやり来て撫子かざる正月に  

   つゞみ手向る弁慶の宮  野水

次男曰く、俄とはいえ正月にナデシコを飾るといえば、有ると思えば有り無いと思えば無い風俗だと誰でも考える。むろん、撫子の風情にも目がとまる。

野水句は、「弁慶の宮」「つゞみ手向る」と剛柔の取合せを以てした奇抜な対付の趣向で、「つゞみ手向る」は「撫子かざる」の移りだとは容易にわかるが、これも有りそうで聞いたことのない話だ。柳田国男の「生活の俳諧」中、「山伏と島流し」にも、二句共まったくの空想の所産だと説いている。

尤も、「撫子かざる」だの「つゞみ手向る」だのは、実際の行事としてどうであれ、祓を支える人情としては有ってよい。そう思わせる詩味が、先の胡麻千代祭などよりは謎掛を複雑にする。

所の名よりも情の見究めを促さんがために、二句対の虚事に作って実へ執成す興を盛り上げた、と考えればわかる。因みに次句は客人芭蕉である。もてなしになるだろう。

弁慶の宮については錦江の「七部通旨」に考証がある。「奥州平泉不動院に弁慶の宮あり、荒人神といふ。近村隣郷信仰甚しく、此絵像を安産の守とす。霊験著しといふ。按ずるに其場の付にて撫子に安産の守の寄せもあるべきか。東海道藤沢の駅にも弁慶の宮あり、金子の宮と称す。其ほか諸国に猶あるべし」。

尤も、「つゞみ手向る」風習については何も云っていない、と。


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