雉追ひに烏帽子の女五三十

080209010

INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―世間虚仮― 阿呆か、定額給付金をめぐる迷走劇

このところ私自身は、山頭火公演の案内書きに昼も夜もないありさまなのだが、
世界金融の崩壊の渦中にあって、この国の政府首脳たちは、就任早々の麻生総理が人気取りにぶち上げた国民全世帯に定額給付金をとのご託宣に、振り回されるばかりの始末で、なんと悠長な御仁たちであることよ。

事務的な煩瑣ばかりではなく、市町村では配当所得など掴めぬものも多々あり、厳密には所得制限など出来る筈もないのに、1500万円以下の世帯になどと宣ってみたり、これはとても出来ぬ相談だと思いいたれば、今度はなんと高額所得者の方々には「自発的辞退」を促すのがよろしいときた。

このオッサン、ホンマに阿呆や!

内閣成立直後の衆院解散が当初お決まりコースであった筈なのに、自民党総裁選なるバカ騒ぎ終わって総理に就いた途端ヤメタとばかり棚上げしては、その時期をめぐって二転三転迷走を繰り返し、選挙目当て見え見えの愚策においてもこんな迷走劇を演じる始末では、はやくも政権は末期症状か、と永田町界隈でそんな観測が出てくるのもやむなかろうというものだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−11

   茶に糸遊をそむる風の香  

  雉追ひに烏帽子の女五三十  野水

次男曰く、「糸遊」を虚から実に執成し、眼前、茶摘みの景気としたところが見所だ。陽炎の立つ茶畠の其所此所から雉が飛び立つ、と読めばよい。「烏帽子」は茶摘女の姉さん被りを見立てた俳言である。三四十、四五十という表現はあるが、「五三十」とは耳慣れぬ。しかし利休の手紙などにも数日を「五三日」と遣った例がある。「五三十」は大勢ということを収まりよく云回した風流だろう。

はこびは三句春だが、花の座を持たぬ所謂素春で、一歌仙一所にかぎり許される、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。