麻かりといふ哥の集あむ

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―四方のたより―  うれしい便り

先週は「山頭火」公演の案内送付と、会場のMULASIA近く、西区や港区に在住する知人らを訪ね歩くのをもっぱらとしたため、他のことはほとんど手につかずといった体だったし、かなり疲れを溜め込んでしまったようである。

昨日は終日、イキイキを休んだKAORUKOを連れての知人宅詣でで、さすがに疲れたか、遅い食事を摂った後、我知らず早々と眠ってしまうという始末で、明け方近くにはずいぶんと夢を見ていたのだろう、朝の目覚めもいつになく重かったのだが、そんな疲れを吹き飛ばしてくれるような嬉しい便りが一通、戦後の関西演劇界にあって、最近までずっと、つねに下支えに徹して働いてこられたご老体、三好康夫さんからだ。

あくまで私信なのだが、心のひろい方ゆえ、此処に掲載させてもらってもけっしてご気分を損なわれることなどあるまい。

「お便りと『うしろすがたの‥山頭火』へのお招きありがとうございました。
久しぶりの山頭火、観たいですね、今も心の中に”うしろすがた”が残っていますが、観たいです。
もっとも小生、二、三日前から体調を崩して足も覚束無い状態ですが(齢の所為かときどきこんな風になります)、なんとか上演日までに体力を恢復して”うしろすがた”を見たいとねがっています。
私にとって林田さんと『うしろすがたの‥山頭火』とは一体、自分でもよくわかりませんがそんな感じです。強く印象付けられています。
お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。」 三好康夫、拝

こんな便りを戴くと、疲労気鬱も吹き飛ばされ、ぐっとかろやかな気分になる。ありがたいことだ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−14

なつふかき山橘にさくら見ん  

   麻かりといふ哥の集あむ  芭蕉

次男曰く、「夏深き」というから「麻刈-浅カリ-」と応じている。また、麻は雌雄異株で、雄木は桜の花に似た五弁の小花をつけ桜麻と呼ばれる。ならば、麻刈は桜狩だ。

思付はまずこのあたりだろうが、合せるに兼好の
「思ひ立つ木曽の麻衣浅くのみ染めてやむべき袖の色かは」-風雅・雑-を以てしたのではないか。恋の露顕で都を逃出したときの詠と伝えられ、よく知られた歌である。

「麻かりといふ哥の集あむ」は、目立たぬ風情の山橘の花も、やがて実を結び色に出ると読めばわかる。麻刈-麻引-は末夏の季、但し「麻かりといふ哥の集」は季ではない、と。


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