籠輿ゆるす木瓜の山あい

Alti200601025_2

INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―四方のたより― 転一歩たるか

どうやら今度の山頭火上演-29、30日-は、私の役者人生、といっても一方で舞踊家であり、また劇活動においても概ね指導的立場に居たものだから実際の役者経験はずいぶんと乏しいのだが、そのきわめて限られた役者人生のなかで、生涯の事件ともなる予兆を孕んでいるのだ、ということを実感している。

実は、昨日の土曜の昼下がり、自宅の居間で、めずらしく山頭火の台本を片手にじっくりと本読み、もちろん本番並みに声を出して、をしていたのだが、この語り台本の山場となるその台詞のところで、いったい何にとり憑かれたのか、突如として感情の激発が起きてしまったのである。けっして泣こうとして泣いたのではない、その言葉を発しようとした途端、我知らずいっきに涙があふれだし、ただただ嗚咽しながらの台詞となってしまったのだ。これまで何百回もおなじ台詞を声にしてきた筈だが、一度たりとてこんなことは起こった例しはなく、まったく初めてのこと、自分の陥った状態に自身驚愕しつつ、しばし言葉を継いでいったのだった。

すべて通しきったあとで、何故そんな仕儀に至ったのかと振り返ってみれば、ひょっとすると前日届いた河東けいさんからの便りに、短く書かれていた言葉が伏線となったのかもしれない、などと思われたのだった。
おけいさんはもう80才を優に越えており、膝の不自由も抱えておられるというのに、12月中旬に控えた関西芸術座の公演で、久しぶりの演出にいま奮闘中とのことである。
私の出した山頭火案内の書面に対し、以下のように添書きをしてくれている。

「昨日お手紙拝受、ただただ暗澹たる思い、最愛の方の突然の別れが、どんなに深い思いか‥、鉄さんが山頭火になるだろうと――。
長いお手紙で山頭火を思いつつ、の後の、詩に心ゆさぶられました。慰めの言葉なんてありません。共に泣くのみです。
そんな思いなのに、29-30日に、参加できるかどうか、‥云えない状況なのです。男7人、揃うことなく、毎日イライラして、クタクタが、恐らく本番までいくでしょう。
ごめんなさいね。行けたら嬉しいです。」

もともと私はこの夏ごろより、山頭火上演を今回会場とするMULASIAで10月か11月にやろうと企図していた。
まだその日程をはっきりとは決めあぐねていた折に、RYOUKOの事故死という災厄が降り来たったのである。

だから、今度の公演と我が身に起こった悲劇とがけっして初めから結びついていたものでもなく、第三者たちに真っ向からそう受けとめられても困るわけだが、かといって時を同じくしてののっぴきならない出来事が、実際に演ずる身にとって意識下になんらかの影響を与えないはずもない。私自身気のせいか、心理面はおろか生理的な感覚においてさえなにやら微妙な変化が生まれているような、そんな日々でもあり、これはもしや私なりのちょっとした身心脱落なのではないか、と思われもするのである。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−18

  たび衣笛に落花を打払ひ  

   籠輿ゆるす木瓜の山あい  野水

輿-こし-、木瓜-ぼけ-

次男曰く、月花を続きとした杜国・羽笠の付合に、俤の一つもさぐれば忠盛のエピソードは自ずとうかんでくるが、たねが「平家物語」なら「たび衣笛に落花を打払ひ」は誰が考えても無常仕立に奪つてはこぶ。「太平記」というもう一つの軍記と、重ね合わせてみる興も自ずとそこに湧く筈だ。

「落花の雪に踏迷ふ、片野の春の桜狩、紅葉の錦を衣て帰、嵐の山の秋の暮、一夜を明す程だにも、旅宿となれば懶-ものう-きに、恩愛の契り浅からぬ、我故郷の妻子をば、行末も知ず思置、年久も住馴し、九重の帝都をば、今を限と顧て、思はぬ旅に出給ふ、心の中ぞ哀なる」

太平記」巻2にしるす「俊基朝臣再び関東下向の事」は春ではないが、これに続けてその護送のさまを「平家物語」巻10、本三位中将重衡の鎌倉送りとだぶらせて描いている。

野水の目付はそこだろう。馴れぬ道中大罪人に籠輿を許すこともあったであろう、ひとまず読んでもよいが、代々の歌人才子で聞こえた-重衡も琵琶の上手-平家の公達と違って、「太平記」の殿上人は馬の乗方もろくに知らなかった。籠輿という詞も「太平記」の別の箇所で出てくるが、にわか作りの粗末な輿だろう。

持出した狙いは「笛に落花」の取合せが「平家」の世界なら、「籠輿に草木瓜」はまさしく「太平記」の世界だと伝えんがために相違なく、いずれこの詞-籠輿-は一座の話題になった筈だ。

木瓜」は山野に自生するクサボケのことで、今の歳時記では、観賞用に栽培するいわゆる唐木瓜と区別して「樝子-しどみ-」の名で立てているもの。匍状性の小低木で、草とからみ、棘がある。

諸注、二句の詩味が心にくい相対となっていることに気付かず単なる一意と読んでいるから「ゆるす」について面倒な解釈に走る。どうして籠輿そのものを「ゆるす」という考えが浮かばなかったものか。「ゆるす」とは草木瓜の山あいにさしかかってふと萌した、何故ともない優情の表現であって、誰かが誰かを「ゆるす」というようなことではないだろう、と。

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