御幸に進む水のみくすり

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―世間虚仮― 瀬戸内の島々

毎日新聞の本日-12日-付朝刊7面、カラー版いっぱいに瀬戸内の離島マップと題された記事に思わず眼を奪われた。
瀬戸内海に浮かぶ大小727の島々、そのうち人が住む島は150近くだとされ、さらにその中で国の離島振興法の対象地域に指定された島がなんと99にのぼるというのだ。

その島々の所在マップが描かれ、それらの人口事情が島ごとに列記されている。驚くべきは一向に歯止めのかからぬ島々の過疎化と高齢化だ。人口たった2人のみという島が2つ、5人という島もあれば、6人だけという島も2つある。数えあげてみれば人口100人に満たない島々がなんと46もあるのだ。

統計は’05年の国勢調査時、’00年時からの増減数と高齢化率も併せて記されている。人口30人の香川県の志々島は、なんと高齢化率93%とあるから、28人が高齢者ということになる。山口県には17人中15人が高齢者という前島や、14人中12人という笠佐島がある。

過疎化も急ピッチだ。同じ香川県の小手島など、’00年には96人だったのが5年後の’05年には51人にまでなっている。’00年から’05年の間に3割前後の減少を示している島がかなりの数にのぼっており、99の島々の殆どが深刻な人口減少に直面しているのが見て取れるのだが、なかに人口増を示しているのが4島のみ。

変わったところでは愛媛県の赤穂根島、’05年には2人となっており、しかも増減が+2となっているから、以前は無人島であったとみえるこの島に、おそらく夫婦者であろう2人が移り住んできたと云うことになる。

と、瀬戸内の島々の事情が一望できる紙面に、島の暮らしぶりなどさまざま想像を掻き立てられては、しばし釘付けとなってしまった。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−22

  泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て  

   御幸に進む水のみくすり  重五

次男曰く、先に暁台が「拾ひ得て放す心」と云ったのは、この付にあてはまる。清水に放たれて蘇り王者の風格を取戻した大鯉をそのまま鳳輦-ホウレン-と見立て、霊験あらたかな水-水の御薬-をたてまつる、と作っている。

「続日本記」の霊亀3年9月20日の条には、元正女帝が多度山の美泉に行幸したことを伝え、後の条にその効について詳しく記している。よほどの大瑞だったか、この年の11月17日、霊亀3年は養老元年と改められた。

ここまで説けば前句の仕立に、「荘子-秋水-」篇の故事をからめて霊亀を匂わせた気転も読取れないではない。「尾を途中に曳く」神亀の説話を下に敷いて養老改元の心を詠んだ句、と解しておく。

重五のうまい思付であったか、それとも興の引出しについて連衆の誰かが助け舟を出したか、その辺はわからないが、はじめから杜国の句が「荘子」を下敷にしていると皆が承知していれば付ける楽しみは半減する。

諸注の中では、太田水穂が「神薬の水」とし、改元のことにも説き及んでいる。「前句の、霊亀を俤にした鯉から、美濃の養老滝へ行幸された霊亀の女帝-元正天皇-を現はしてきた‥、この附の神妙さかに驚らかるるのである」-芭蕉連句の根本解説-、と。


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