芥子あまの小坊交りに打むれて
―四方のたより― 復調の兆し?
PCの新機入替えからずっとリズムが乱れっぱなしでどうにもいけません。
読書もいっこう進まないし、ブログへの言挙げもままならぬ。
こうまで乱れたには、PCの所為ばかりではなく、他にも理由があるにはあるが、その事について今は触れまい。
特段の体調不良などには見舞われてはいないから、その点ご心配には及ばない。ただゝゞ煩いの種々は往々にして重なりやすい、ということか。
昨日から気楽に読めるかと思って手にした借本の斉藤環著「生き延びるためのラカン」、筆致は高校生向けのレクチャースタイルだが、どうしてなかなかに奥深く、ラカンを惹きつつ現代人の「こころ」のありようを明瞭に語ってくれて、お奨めだ。
このあたりで徐々にペースを取り戻していきたいものだが、はてさて…。
先月はとうとう書き漏らしてしまった「今月の購入本」と「図書館からの借本」は、2ヶ月分をまとめて連ねておく。
―今月の購入本―・松長有慶「理趣経」中公文庫
・廣瀬陽子「コーカサス国際関係の十字路」集英社新書
・亀山郁夫×佐藤優「ロシア闇と魂の国家」文春新書
・塩見鮮一郎「貧民の帝都」文春新書
・小熊英二・姜尚中編「在日一世の記憶」集英社新書
・辻惟雄「奇想の図譜」ちくま学芸文庫
・D.P.ウォーカー「ルネサンスの魔術思想」ちくま学芸文庫
・山根貞男「マキノ雅弘」新潮選書
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」11、12月号
―図書館からの借本―
・多田富雄・柳澤桂子「露の身ながら」集英社
・多田富雄・中村雄二郎編「生命-その始まりの様式」誠信書房
・多田富雄「脳の中の能舞台」新潮社
・多田富雄「能の見える風景」藤原書店
・斉藤環「生き延びるためのラカン」パジリコ株式会社
・丹治恒次郎「最後のゴーガン」みすず書房
・末木文美士「他者/死者/私」岩波書店
「霜月の巻」−25
萱屋まばらに炭団つく臼
芥子あまの小坊交りに打むれて 荷兮
次男曰く、其場を付け伸した人情二句だが、「芥子あま」と季の気分を添えたところがさすが巧者だ。芥子あたまは季ではない-芥子の実は晩夏-。てっぺんだけのこして剃上げにする童あたまの風習は男女双方のものだが、句は女童だけがおけしだと云っている-男の子は坊主あたま-。そこも目の付けどころだろう。
松江重頼の作法書「毛吹草」-正保2年刊-に「芥子-の粒-を千に割るごとし−人喰馬にも合口」という世話の付合を載せる。前は微少なもののたとえだが、それも度を越せば無益にひとしい。後は、翻して、手のつけられぬ暴れん坊もウマが合えば従順になるということだ。この「芥子あま」はきっと、悪童どもを手下にして意のままにうごかす小娘に違いない、と想像させるところに笑いの含みがある。「打むれて」と遣ったところも良い、と。
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