籾臼つくる杣がはやわざ

Dancecafe08092857

―世間虚仮― Soulful Days-16-「もらい事故」だと!?

RYOUKOを死へと追いやった昨年9月9日の交通事故。
かいつまんで事故状況を記せば、此方はタクシーの搭乗客、M運転手は信号のある広い交差点で右折しようとしていた。青信号で対向車線を直進してきた相手のワゴン車は70?/hで走行、一旦停止をしたタクシーを現認したのは20mほど手前、咄嗟にブレーキを踏むも間に合う筈がない、事故現場にブレーキ痕も残さぬまま、タクシーの後部座席に激突した。

府警の科捜班による詳細な現場検証がなされたという警察による捜査もやっと終えて、12月には大阪地方検察庁へ送致されたと聞かされてはいたものの、その後は年が明けても音沙汰なしがつづいていた。

先日-1/30-、RYOUKOの母親と私は、その検察庁からの呼び出しに応じて、’01年の秋に竣工成ったという阪大病院跡地の大阪中之島合同庁舎に、今後の流れがどのようになるのか見当もつかず、なんとなく重い気分に襲われながら赴いたのだった。

事件の担当検察官はN氏、どうやら副検事らしい。
そのN氏に、私は、昨夜のうちに準備した上申書を差し出した。この上申書には、かねてから加害者の一方-相手方車両を運転していたT-とその父親と折衝してきた経緯などを記録した文書や、彼らとやりとりした5通の書面を資料として付しており、全部でA4判8枚に及んでいる。

その表書きに私は、「上申の趣旨は、事故被害者の遺族として、その悲しみのあまり、当該事故の甲乙両者への刑事罰並に行政罰において、必ずしも厳罰を望むということにはあらず、ただ一点、事故直後より意識不明に陥り死線を彷徨ったあげくそのまま逝ってしまった無念の死者とその家族=遺族に対する、事故当初から死に至るまでの数日間における乙の、事態の重大さ深刻さを自らのこととして直視しえなかったゆえの不実ともいうべき姿勢や対処に、その道義的責任において厳正なる注意喚起、ご叱責ご指導を願いたく、以下添付書面を閲覧の上、適正なる対処を請うものであります。」と記した。

だが、N副検事から「彼-T-は元々医学生で、この事故を契機にやはり医師を目指そうと思い直し、今年は国家試験を受けることにします、と反省を込めて云っていた」と聞かされるに及んで、愕然とした。一瞬、耳を疑った。
「エッ、医学生? そんなバカな!」、二の句が継げず、逆上してしまった。

これまでTの父親から聞いてきたのは、学生時代からWakeboardに病みつきになって留年したりしたことや、’07年の夏にそのプロ試験に合格、現在はプロ活動に専念しており、将来はこの趣味を活かした事業展開をしていきたいと望んでいるといったことで、結構なご身分の遊び呆けた道楽息子、どうせロクな大学を出ちゃいまい、と思っていた。

それが医学部の学生だったなどと、トンデモハップン! それも大阪市大の医学部、6年の課程をまあどうにか修了してござるとは、なんてこった! そんな医学の知識もある輩が、死に瀕したRYOUKOに対しての初期対応を、青信号直進の自分に過失はないとばかり無視を決め込んだ態度で終始しやがって、なんて鉄面皮な野郎だ。此奴はどうでも許せねえ! と思ったものの、検事に云わせると「この事故状況における判断としては、仮に遺族が加害者らに厳罰を以て望むべしとした場合、事故当事者双方の科料をともに厳しくせざるを得ないことになる」と。すればこちらが望みもせぬMへの咎めが重くなる、これはジレンマだ。

だから結局は、あらためて「厳罰を以て‥」とは、とうとう云えなかった。
無念さに歯噛みする思いでその場を辞した。2時間半ほどを要した長い聴取だった。


と、ここまでは前段、問題の「もらい事故」についてはこれからだ。
私も日常的に車の運転をする。免許取得は’66年のことだからすでに40年を越えている。その長年月にはいくつかの物損事故も経験しているし、軽微だが人身事故も起こしている。だがこの年になるまで「もらい事故」なんて言葉は寡聞にして知らなかった。初めて聞く語だが、聞けば意味のほどは容易に察しがつく。事故の過失は相手に一方的にあり、こちらに過失はないという場合にそういうのだろう。保険用語としては被害事故とされる語の俗称のようだが、こちらのほうが直感的に分かりやすいか、近頃はかなり流布しているらしいが、耳にしてあまり響きのいいものではない。

検察庁での事情聴取を受けた明くる31日、私は久しぶりにM運転手と会った。これまで遺族の心を刺激するようなことはと差し控えてきた彼が、RYOUKOの仏前にお参りしたい、と申し出てきたからである。
二人して仏前を辞し、別の部屋に移ってから、彼に前日のことを報告がてら話した。もちろんTが医学生だったというのが話の主筋だ。これには彼も驚きのあまり唖然としていた。

それから、彼の訥々とした重い口から飛び出してきたのが「もらい事故」、この言葉だった。
Mが語ったのを要約すれば、事故後のある日、それは9月の終わり頃かあるいは10月上旬の頃だったか、相手方保険会社の事故調査係から面談を求められ会った際に、どういう話のはずみか、T自身が「こっちはもらい事故だから、云々」と語っていたというのを、うっかり口を滑らした、というのである。
人ひとり、無辜の人間を死に至らしめた事故の当事者が、自身の過失の小さいことを主張、抗弁するのはまだよしとしても、これを知ったかぶりの「もらい事故」などと言い放ってしまえるTの無神経にもほどがあるのには、さすがのMも驚いて、「なんということを言っているのか」と咎めだてをしたら、相手の調査員は「しまった」とばかり、その場を言い繕っていた、と。

「もらい事故」、− RYOUKOを死なしめた事故の相手が、まだ27歳の遊んで暮らしているばかりの若造が吐き捨てた言葉‥。そんな奴が「医学生」でもあったという、悪寒が走るようなこの事実。

「許せん、絶対に許せん!」、この時はじめて腹の底から、そう思った。
事故当初よりこれまで、私はその当事者双方を道義的にはともかく、それ以上の責めはするまいとしてきた。双方にそれなりの過失があるにせよ、ともに望んで起こしたものでなく、その時さまざま偶然が折り重なって起きてしまった事であれば、RYOUKOの死は偶然の悲劇。彼らに憎しみや怒りをぶつけてしまうなら、自分のやり場のない悲しみの代償行為にしか過ぎない、と。

だが、これは違う、何パーセントか、いや何割か、RYOUKOは殺された、に違いないのだ。
「もらい事故」と、そんな言葉を吐き捨ててしまえる自己中野郎、この元「医学生」に。
この事故のウラには、きっとTの無謀運転か重大な過失が隠されている、供述書には表れていない大きな穴が。それは此方が立ち上がらないかぎり炙り出されてはこないのだ、次から次と後を絶たぬ死亡事故事件を消化しなければならないこの国の交通裁判では。

私は、この「もらい事故」野郎に、宣戦布告をすることにした。
その夜、RYOUKOの住んでいた家に、遺族3人が寄った。
法廷で争うことを辞さず、と確認しあった。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」−06

  月待て仮の内裏の司召  

   籾臼つくる杣がはやわざ  曲水

次男曰く、籾臼は籾摺臼、単に磨臼とも云う。竹や木を円筒形に立て並べ、塩粘土で隙間を埋め固めたものだが、上下二つに作り、上の穴から入れた籾を回しながら摺る。籾摺は古俳書概ね、仲秋の季語とする。

句は司召の祝に新穀の用と思い付き、籾臼を作らせてもさすが杣人の手業は、ひと味違う早さよ、と付けている。

「仮の」を見込んだ作りには違いないが、司召は一夜儀式だということも「はやわざ」には利いているのだろう、と。

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