いふ事を唯一方へ落しけり

080209032

―世間虚仮― Soulful Days-18- 告訴すれど‥

本日午後3時、大阪地方検察庁へと出向き、担当検察官に直々告訴状を手渡した。
本文5頁からなる長文の告訴状は、K弁護士の手になるもの。

以前から知るKは闘志の人というに相応しい熱き女性弁護士である。嘗て30名余を擁して木津信抵当証券の被害者訴訟を闘った弁護団の一人でもあった彼女は、当時の私の眼からすれば、大深団長や櫛田弁護士とともに、その存在感を強く印象づけられた人であり、大阪高裁における平成13年12月の鍵弥元理事長実刑判決に至る最終的な解決まで6年余を要した訴訟を闘いぬいた、いわば同士であり中核的仲間の一人でもあった。木津信との訴訟が賠償問題において一応の和解解決をみた折り、その訴訟記録を一冊の本に上梓すべく計画立案に集った十余名の弁護士たちに私も交じって、有馬の温泉だったか、一泊二日の合宿に参加したことがあったが、もちろん彼女もそのメンバーの一人だった。

そんな協働の経験をしてきている所為もあってだろう、彼女の書いた告訴状は、これまで私がものしてきた事故に関するメモや訴状原案などを元に、脇見運転や無灯火など重過失の疑惑のみならず、もらい事故発言や元医学生にして国家試験云々などといった道義的問題まで、要点を漏らさず整然と論理構成されており、格調高くそして熱く、よく意を尽くした一文であった。

この稿が私の手許に届けられた先夜、不覚にも私はこれを読みながらどうにも涙が込み上げてくるのを抑えることができず、遺影に向かって観音経を読誦するも、なお昂ぶった心は収まらず、あれやこれやともの思うては涙し、涙してはまたもの思うを繰り返しては、とうとう夜を明かしてしまったのだった。

告訴はあくまでも乙-T-のみを対象とした。その一方で、搭乗していたタクシーの運転手である甲-M-に対しては、減刑の嘆願書を出している。

西署から送致された捜査報告では、どうやら甲において重過失とされ、乙の過失は軽いものとされており、いまのところ検察での取り調べもその延長で進行していると察せられる。
刑事事件としての交通裁判ではあくまでも甲乙双方の過失に対しての審判であるから、被害者遺族はどこまでも争点の当事者ではない。争われるとすれば甲乙双方の過失の比であり量である。
一方的に重過失とされている甲がこれを争うべく起ち上がらなければ、このたびの告訴状も無為に帰すわけだが、甲においてはいまだその明確な意思表示はなされていない。もちろん甲はこの不当な捜査報告を覆したいと願っているし、そのために弁護士にも相談しているが、なお勝算を得るにいたらずなのであろう、はっきりとした動きはない。
私は告訴状の写しを参考として甲にも送っているが、それが決め手になるほどの力を発揮するとはかぎらないし、たしかに現況を打破・逆転させるのはずいぶん困難なことなのだろうと思われる。

きっと彼はいま暗い穴底にいるような思いに囚われているのではないか。彼の苦悩は深い。それを思うとまた気鬱にもなる。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」−11

   中にもせいの高き山伏  

  いふ事を唯一方へ落しけり  珍碩

次男曰く、「高き」というから「落し」と応じ、入込にありそうな風俗スケッチとした二句一章の作りである。「中にも」を思案して「唯一方へ」と活路をひらいたところが、滑稽の工夫だ。

弱気や迷いがあっては山伏などつとまるまい、修行につれて弁舌も自ずから立ってくる、という通年をなぞったまでの遣句だが、この「唯一方へ」は、珍碩自ら洒落堂に書した、「分別の門内に入事をゆるさず」とうそぶいた男の満足げな表現らしい、というところが面白い、と。

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