千部読花の盛の一身田

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Information−四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

表象の森― 色はどこにあるか

図書館からの借本だが、オートポイエーシス-Autopoiesis-理論の提唱者F.ヴァレラの「身体化された心」-01年工作舎刊-を何日かかったか、やっと読了。
副題に、仏教思想からのエナクティブ-行動化-・アプローチとあるように、認知科学の前提に根本的な疑問を投げかける著者が、仏教思想の「三昧/覚思想」を手法とし、認知を「身体としてある行為」と捉えつつ、世界認識のパラダイム転換を問う書、といったところか。

そのなかで、色知覚の問題から視覚システムについて論考した箇所から、以下抜粋紹介しておく。

色知覚の完全な喪失について考えてみると、色知覚が他の視覚的モダリティと感覚モダリティの両者と協同することが痛感される。

事故によって完全に色盲になった患者、いわゆる後天性色盲というこの特定の症例がきわめて興味深いのは、これが特にカラフルな抽象画で知られた画家に起こったからである。自動車事故によって、この人物はもはやどんな色も知覚できなくなった。白黒テレビにも似た視覚世界のなかで暮らすことになったのである。

彼の言説から、色知覚に他の経験モダリティが関与していることが明らかである。色が失われたために、彼の経験の全体的な性格は劇的に変化した。見るものすべてが「味気なく、薄汚い様子だった。白はぎらつき、無色でも灰色っぽく、黒には空虚感があった。すべてが間違っていて、不自然で汚染されていて、不純だった。」
食べ物にはうんざりし、性交は不可能になった。もはや色を視覚的に想像できず、色のついた夢を見ることもなかった。音楽鑑賞力も損なわれた。楽音を共感覚的に色の戯れへ変換して経験することができなくなったからである。

徐々に「夜型人間」になるにつれ、彼の習慣、振舞い、行為が変化した。
彼の言葉によると、「夜が愛しい‥惹かれるのは、日の光を見ることがなく、そのことが満更でもない、夜働く人だ‥夜は別世界だ。広い空間があって、街や人に縛られることがない‥まったく新しい世界。私は次第に夜行生物になりつつある。かつて、私は色を心地よく感じていた。それがとても楽しかった。はじめのうちはそれを失って悲しかったが、今やその存在すらわからない。幻影ですらない。」

この言説が伝える劇的な変化は、われわれの知覚世界が、感覚運動活動の複雑精妙なパターンによって構成されていることへ思い至らせる希有な例である。
われわれの色づいた世界は、構造的カップリング-struktuelle Kopplung-の複雑な過程によって産生される。これらの過程が変化すると不可能になる行動形式もある。また、新しい条件、状況に対処するようになるにつれて人の行動は変化する。そして、行為が変化すると、世界の感じ方も変化する。この変化が、「彼」が色を喪失したように、あまりに劇的であると、異なった知覚世界が生み出されるのである。

色は表面に知覚されるだけの属性ではない。それはまた空のような量感が知覚される属性でもある。また、残像の属性としても、夢、記憶、共感覚のなかでも色は経験される。これらの現象にわたる統一性はある非経験的な物理的構造のなかにではなく、ニューロン活動の創発的パターンを通して形成される経験の一形態としての色に見出されるのである。

視覚システムは単に所与の物体のもたらすものでは決してない。物体が何で、どこにあるかの決定は、その表面の境界、肌理、そして相対的な方向性-および知覚される属性としての色の全体的なコンテクスト-とともに、視覚システムが不断に成し遂げなければならない複雑な過程なのである。これは、すべての視覚モダリティ間の能動的な対話を含む複雑な協同的過程から生じる。

「知覚される物体をその色から分離することは不可能である。なぜなら、色の対比そのものから物体が形成されるのだから」-P.グーラスト&E.ツレンナー-というように、色と表面は相伴う。両者はわれわれの身体としてある知覚能力に依存するのである。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」−17

   雁ゆくかたや白子若松  

  千部読花の盛の一身田  珍碩

次男曰く、花の定座である。「雁ゆく」を秋から春-帰雁-にとりなして、季移り-雑の句をはさまぬ付-としている。月・霞-四季-や露-三季-などは執成容易だが、渡鳥の来る・帰るに目をつけた例は珍しい。白子は一身田より北、若松は白子よりもさらに北に当る、というところが地名取出しのみそだ。雁は北に帰る。

秀吉の命名と伝える一身田の専修寺は、天正、正保二度の堂宇焼亡を経て、寛文6-1666-年、津藩主藤堂高次が今の御影堂を建立し、伽藍も整えられた。「千部読」は追善・供養のための経典読誦法会で、千は必ずしも実数を意味しないが、千人一部、一人千部、百人十部など形式はいろいろある。

ここは浄土宗が所依とする浄土三部経を一部として反復読誦する法会を云い、春秋の二度各五日間以上勤修され、江戸時代には信者群参のため春の花どきなど一ヶ月にわたって続けられることも珍しくなかった。千部会は各宗それぞれに修するものだが、浄土宗でとりわけ重んじられた行事である。

句は、それらを踏まえて、老若男女群参する「花の盛」をうまく捉えている。一身田が白子・若松より南にあっても、それだけではこの二句の付合は成立たぬ、と。

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