あぶらかすりて宵寝する秋

Tx1_2c590

―表象の森― 反貧困ネットワーク

徹夜が続いたりする忙しさもなんとか峠を越えたところで、昨年暮れの「年越し派遣村」から全国各地に拡がった「駆込み相談会」など反貧困ネットワーク運動の旗手、湯浅誠岩波新書「反貧困」をやっと読了。その第一感、69年生れという今年40歳になるという若い著者は、この世代にはめずらしいほどの、骨太の思想家であり活動家だと受けとめ得た。

本書の内容について云々することなど必要はあるまい。私の手許の本書が12月5日発行の第5刷とあり、さらに刷を重ね、なおベストセラーであり続けていようから、より広汎に多くの読者を獲得されることを期するのみだ。

此処では彼らの活動に共鳴とともに讃を表するため「反貧困ネットワーク」のシンボルマークをHPより拝借して掲げておきたい。
写真にある「ヒンキー」と名付けられたシンボルキャラクターはオバケだそうだ。なぜオバケか、著者に云わせれば、貧困は「ある」と「ない」の間にあるからだ、と。貧困の最大の特徴は「見えないこと」であり、最大の敵は「無関心」だ。社会のみんなが無関心だと、ヒンキーオバケは怒ってどんどん増殖していくだろう、みんなが関心を寄せ合って、このオバケをどうするか、あの手この手を考えていけば、いずれ安心して成仏してくれるだろう、と。

―今月の購入本―
・J.B.テイラー「奇跡の脳」新潮社
脳出血によって言葉や記憶、歩行能力を失った脳科学者の回復体験を綴った注目の書。言葉を失い、それを取り戻す過程を、脳と関連付けて語ってくれる体験録は、人間らしさには言葉が不可欠ということが、それを失ったことでわかると同時に、言葉以外にどれだけ大事なメッセージがあるかを具に明らかにしてくれる。

山本兼一利休にたずねよPHP研究所
昨年下期の直木賞受賞の時代小説。利休好みの真っ黒な水指と棗-なつめ-を初めて眼にしたとき頭に浮かんだのは、利休につきものの侘びたメージではなく、全く逆の艶っぽさであったという作者。その艶やかさの根源は何なのかを追い求め、これまでにない利休像を作り上げた。

梅原猛「京都発見 -8- 禅と室町文化」新潮社
嘗て京都新聞に連載された京都発見シリーズの8。鎌倉時代に日本にもたらされ、室町時代の京都でその魅力を大きく開花させた臨済禅。後醍醐天皇を鎮魂する天龍寺、足利氏の相国寺金閣銀閣、一休など反骨の禅僧を輩出した大徳寺ほか、妙心寺龍安寺etc. 庭、茶、書画 といった諸芸を吸収し発展させた禅寺のさまざま、その魅力を説く。

・竹内整一「日本人はなぜ「さよなら」とわかれるのか」ちくま新書
アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉−「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。

・井上繁樹「はじめてのLAN-パソコンとパソコンのつなぎ方 Vista版」秀和システム
Home NetworkのHow Toもの。
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」3月号

―図書館からの借本―
・陶山幾朗「内村剛介ロングインタビュー」恵雅堂出版
深い共感が導き出した稀有な記録、と吉本隆明に言わしめた、少年時より渡満し、哈爾濱学院に学び、シベリア抑留を経て、戦後日本を生き急ぐ日々の中で、遂にソ連崩壊を見届けるに至る内村剛介の歩んだ軌跡。ここには20世紀という時代が負った痛切な軋みが反響している。

宮地尚子「環状島=トラウマの地政学みすず書房
戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起き、今日の社会に満ちている。トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門家、研究者、傍観者などは、それぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか。

・F.ダイソン「叛逆としての科学−本を語り、文化を読む22章」みすず書房
20世紀が生んだ物理学の巨人の一人であり、奔放な想像力と鋭利な哲学的思索でも知られるイギリス人著者の精選書評・エッセイ集。「ラマンやボース、サハといった、20世紀のインドの偉大な物理学者にとって、科学はまずイギリス支配に対する、そしてまたヒンドゥー教の宿命論的な価値観に対する、二重の叛逆だった」。

・A.モール他「生きものの迷路」法政大学出版会
副題に空間-行動のマチエールと、劇場・美術館・庭園・街路・都市・観光の島etc. 多様な日常的空間をミクロ心理学からアプローチを試み、社会という巨大な空間・迷路のなかでの人間行動を分析・追求する。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−02

  灰汁桶の雫やみけりきりぎりす  

   あぶらかすりて宵寝する秋  芭蕉

次男曰く、其場の景を探って人情を取出した、典型的な打添えの脇である。「雫やみけり」-元桶の枯れ-に「あぶらかすりて」と合せたか、「やみ−けり−きり−ぎり−す」の細りを無聊の「宵寝」につないだか、二つの想はいずれ不可分だが、「宵寝する秋」は秋の夜長・夜鍋があってのことだ。

八朔または秋彼岸頃を境にしてよなべを始める風習は、西日本では常識となっている。黒川玄逸の「日次-ひなみ-紀事」-貞享2年-にも陰暦9月の頃に、「この月より諸職人、夜長に乗じ夜半に及ぶまでその作業を勤しむ。これを夜鍋といふ。言ふこころは、夜深きときはすなはち飢うるゆゑに、鍋をもつて物を煮て喰ふ義なり」云々と記している。

宵寝は、仲秋-名月-はもとより初秋にも不束だが、秋作業も終って人々皆夜鍋にいそしむ時季なら、この天邪鬼はは俳になるだろう。一見「あぶらかすりて」を「宵寝」の理由のごとく読ませる作りだが、そうではない。芭蕉は凡兆作の「きりぎりす」を秋深しと弁-みわけ-て、景・情のうつりを以て付けているのだ。

「かする」は掠、本来はかすめとる・軽く触れるなどを意味する。ここは、灯油を節約する・惜しむ意味に借りた当時の俗用か。また、こうも考えられる。自動詞・他動詞の混用は珍しくない。「荒海や佐渡によこたふ天河」は「よこたはる−よこたふ」である。「かする」も「かすれる」の俳諧工夫かもしれぬ。いずれにせよ「かする」は他動詞-四段-だというところが云回しのみそで、自-やむ-に他のはたらきを付けると、合せの妙が生れる。「あぶらかすれて」とあれば、「宵寝」も只の成行きときこえるから、夜長人をよそに見遣る風狂の人体の面白みは現れてこない、と。

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−