迎せはしき殿よりのふみ

Dancecafe08092833

―四方のたより― 携帯MailをPCへ

携帯のE-Mailを多用するようになってもう10ヶ月近く。そのやりとりのなかにはかなり大事なものもあって、記録として残しておいたほうがよいと思われるものが相当ある。ずいぶんと貯まってきたので保存すべく、まずはMicroSD-Memoryを携帯に取り付け、ここへ移動させた。

その上でPCに転送してみるも、VMGなる拡張子ではPCのMailerでは読めない。Freeの変換SoftをDownloadして拡張子はemlとなったが、Mailerに保存するには、面倒なことに一つ一つ開いては、あらためてフォルダに保存しなければならない。受信Mailと送信Mailで合せて800ほどだからコリャ大変だ。よほど暇な時を見つけてやるしかないか。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−12

  ものおもひけふは忘れて休む日に  

   迎せはしき殿よりのふみ  去来

次男曰く、「前句恋とも恋ならずとも片付がたき句ある時は、必ず恋の句を付て、前句ともに恋になすべし」。「三冊子」が伝える師説だが、蕉風に限らず当然有るべき心がけである。

「迎-むかへ−せはしき殿よりの使者」と作れば「ものおもひ」を恋に奪ったとは決めかねるが、「ふみ」と抱合せれば「ものおもひ」が恋になるのではないか、と言葉の微妙な伝統に解釈のさぐりを入れたところがみそだ。「ふみ」と作っても、単独の句では恋とは云えぬ。去来らしい武骨なユーモアで、この伺いは一座の笑いを引出すに足りたろうが、その恋の中味を、休みたい−休ませぬ、と掛合に仕立てたコミックな情の煽りがよく利いている。

つまり、普通に考えればこれは、寵愛ひとかたならぬ側室とか御女中の宿下りだろうが、嫁の里帰りの寓喩でもよい-「殿」は亭主どの-、とくだけて読取せるところに俳がある。

二句はむろん女の上だが、「ふみ」の受取人を男に見替えて次座は恋離れとさせる用意は、先の「蛭の口処」-芭蕉-・「ものおもひ」-野水-に続いて、去来の内にある。三者同じ手口で、手早く軽快にはこんでいる。

   摩耶が高根に雲のかかれる
  ものおもひけふは忘れて休む日に
   蛭の口処をかきて気味よき
  ゆふめしにかますご喰へば風薫る
   迎せはしき殿よりのふみ

と仮に長句を入替えると、そうはゆかぬだろう。これでもはこびに障りはなく、話もそれなりに拵えられるが、活語がたちまち死に体になるのがよくわかる。これでは銘々、独り合点な連想ゲームだ、と。

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−