かへるやら山陰伝ふ四十から

080209079

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−19

   木曽の酢茎に春もくれつゝ  

  かへるやら山陰伝ふ四十から  野水

次男曰く、折を跨って-折立-、春三句目の作りである。そうではあるが、何を以て季としたのだろう、と見咎めさせるところに綾がありそうだ。

「鳥帰る」という連俳の季語があり、暮春とする。秋冬の候日本へ渡ってきた鳥は、春には繁殖のため北に帰る。その生態による季語だが、詩歌におけるこの詞の情は、厳密に渡り鳥とは限らぬようだ。帰鳥とはもともと塒-ねぐら-に帰る鳥を意味する言葉だし、「千載集」に俊成が選んだ崇徳院の詠「花は根に鳥は古巣にかへるなり春の泊を知る人ぞなき」にしても、鳥が渡りかどうかなど問うだけ愚である。

「かへるやら山陰伝ふ小鳥たち」とでもあれば納得がゆくものを、何故わざわざ「四十から」と作ったのだろう、ということが気にかかる。シジュウカラの季は、今の歳時記は繁殖期を取上げて夏とするが、古俳書では色鳥-色々の小鳥-の一つとしていずれも秋-陰暦八月-に部類する鳥である。稀に漂行するものもいるが、ごくありふれた留鳥だ。

「鳥は古巣にかへるなり」という崇徳院の歌もあることだし、春三句続の約束に甘えて四十雀も帰る鳥の仲間に入れて貰えまいか、と野水は云いたいらしい。

野水がシジュウカラも古巣に帰る躰に作ったのは、四十路からとも、始終空-留守-とも通う旅暮しの面白さを名に含ませて、師の二度の木曽路曳杖に思いを寄せたからに違いない。野水は凡兆の「木曽の酢茎に春もくれつゝ」に和して、記念すべき月見行の思い出を「花とちる身は西念が衣着て」と願う其の人-芭蕉-への讃としている。亭主、正客、次客の息の合った、花も実もある応酬ぶりだ。

かさねて言うが、句は春三句以上続の約束があっての持成の工夫で、作者が他ならぬ野水だということが、もっとも見どころとなる、と。

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