冬空のあれに成たる北颪

Ekinkamakurasandaiki

―表象の森― 絵金を覗く

1000円渋滞の心配もよそに、土佐の絵金蔵を訪ねてみようと思い立ち、4.5の両日、高知に旅してきた。
往きはまだ明けやらぬ早朝のうちに出立したから、中国道池田から上がって山陽道をとり、瀬戸大橋から四国高知へ、なんの障りもなくすんなりと運び、開館早々の午前9時過ぎには赤岡町の絵金蔵門前に立っていた。

江戸末期から明治初期に生きた土佐の絵師金蔵が描いたとされる二曲一双屏風仕立の芝居絵23枚が今に遺されているのだが、その保存を第一義とした絵金蔵を訪ねたとて、残念ながらそれらを実際に見ることは叶わない。わずかに節穴から覗き見するごとく小さな壁穴の拡大レンズを通して、時期に応じて交換される作品2点と接せられるのみで、あとは一目でそれと分かる作品の模写群やら絵師金蔵の生い立ちやらで解説展示された、いわば疑似絵金空間を追認する仕掛けの、小さな小屋掛け風アート館だ。

実際の絵金作品の諸々に対面するには、年に一度の須留田-するた-八幡宮夏祭の宵宮か、その直後の7月第3週の土日に開かれる絵金祭りしか、その機会はない。

わが国の伝統的な絵巻物の世界には、西洋近代絵画の遠近法とは異なる、逆遠近法ともいわれる「異時同図」遠近法があるが、絵金の芝居絵にはこの手法がふんだんに駆使されている。
写真は「鎌倉三代記-三浦別れ」、非業の死を遂げた源頼家北条時政の確執を材に作られた近松半二らの手になるこの浄瑠璃は、大阪夏の陣の記憶もまだ新しく、家康を時政に、秀頼を頼家に擬えてもいる。

画面中央は深傷を負った頼家の家臣三浦之介-木村長門守重成-と時政の娘時姫-千姫-の二人、物語のクライマックスとなる愁嘆場。左奥の井戸から姿を現しているのは佐々木高綱-真田幸村-で別の場面を挿入し、さらに右奥の嘆き悲しむとみえる女の影は三浦之介の母の姿だ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−21

   柴さす家のむねをからげる  

  冬空のあれに成たる北颪  凡兆

北颪-きたおろし-

次男曰く、季の句に人情を合せ、雑の句から季を取出すのは連句作りの楽しみである。前句雑は打越と結ぶと春の農閑期の屋根替、当句と結ぶと冬構えの屋根替だ。

「冬空のあれ-荒-に成りたる」とは、挿柴、棟絡げを思い立たせるに到った気象の変化を叙しており、逆付気味の二句一章である。

猶、屋根替は現代では仲春の季語とするが、古くは雑の詞である。「やねふきの海をふりむく時雨哉 −丈草」-有磯海・元禄8年-は初冬に取合わせている。この海は琵琶湖のことだろう、と。

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