人もわすれしあかそぶの水

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―世間虚仮― 30代の自殺

世界でも有数の自殺が多い国として知られる日本だが、バブル崩壊以降、若年層における自殺者の増加ぶりは著しく、とりわけ30代では、08年度4850人と、91-92年頃に比べてほぼ倍増しており、自殺原因としての伸びはうつ病が前年比21%増と圧倒的、という些かショッキングな報告記事。

これも貧困化社会のあらわれか、出口のない長い就職氷河期が若年世代にさまざま影を落としている。



<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−26

  夕月夜岡の萱ねの御廟守る  

   人もわすれしあかそぶの水  凡兆

次男曰く、萱と萱草-ヤブカンゾウ-は全く別のものだが、同字の連想から、忘れ草-萱草の別名-にまず思い付いたか。

萱草は「倭名類聚鈔-和名抄-」に「一名忘憂、漢語抄云、和須礼久佐」とあり、「万葉集」も表記「萱草」、諸訓はワスレグサである。この草を植え、または身につけると、憂を忘れるという中国古来の伝承に拠る。

歳時記では「忘れ草の花」を仲乃至晩夏に扱い-忘れ草とだけでは雑の詞-、したがって思ひ草・忍ぶ草とは季を別にするが、三つは床しさ一連の歌語である。

二句一章、「わすれし」とは、前句の作りに、偲び忍ぶ情を見込んで取出した寄合に相違ないが、「後拾遺集」の恋の部「我宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂るわすれぐさかな」を下に敷いた恋抜きの工夫、とでも読めば猶合点がゆく。

「あかそぶ」-原表記は「あかそふ」-は赤渋の転訛のようだが、そういうなまりが当時行われていたのか、それとも凡兆の造語か、わからない。ここは、閼伽-アカ-を添ふを掛けて云い回しとした、鉄気-カナケ-水だろう。

句は雑躰である。戻って、「すさまじき女の智慧もはかなくて」が季・雑いずれかに治定するのは、凡兆の巡りに任された作分による-秋の句を以て替えれば、「すさまじき」は秋の季語と見なさなくてもよい-。先に「かへるやら山陰伝う四十から」を、春に許容したのと同じ伝だ。

「雑秋-春-」という分類は勅撰集にもある。春・秋の季続は各三句以上という約束にそれを取り込んで、見合いとしたこの巻の趣向は大胆にしてかつ新鮮、歌仙中段のはこびに彩を添える。凡兆の句は、其の場を見定め、里人の情を汲んで打ち添うたまでで、軽いあしらいぶりだが、季の効果を心得た抑制の作りである、と。

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