生死の中の雪ふりしきる

0509rehea0016

山頭火の一句昭和6年の作か?

句集「鉢の子」では前書に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり-修証義-」を置く。
時期は些か外れるが、義庵和尚の許で出家して耕畝と改めた山頭火が、大正14年の早春から味取観音堂の堂守となり、翌年4月いよいよ行乞放浪へと旅立つにいたる一年余の山林独住のなかで、なにを想いなにを念じたか‥‥。

紀野一義は、この句を引きつつ
さびしい観音堂の中で山頭火はなにを考えていたろうか。それは、生と死とを無限に繰り返す輪廻転生の世界のこと、悩みや苦しみに満ちた凡夫の人生のことである。‥生死の世界の中に雪が降りしきるのではない。雪もまた、「生死の中の雪」である。生死の迷いを清める雪ではなくて、いよいよ深く降り積もる迷いの雪である、と。


―表象の森―
 Nocturne花盛り

数日前、今年のローザンヌ国際バレエの模様をVideoで見た。
ファィナルに残った20名の内訳は、男子9名、女子11名。その女子11名が踊ったコンテは、なんと7名が、昨年高田茜が踊ったNocturneに集中するという人気振りで、Nocturne満開の舞台に、些か食傷気味の鑑賞となった。
同じ作品も、踊り手が変われば、それぞれ解釈も異なり、細部で各々その表現も微妙な違いを見せるが、その微妙な差がもたらす印象の落差は、意外なほどに大きいものだとということを、七態のNocturneを眺めわたしながら、今更に感じ入ったものである。

パーティー会場で1人になりたくて庭に出るが、心は慕う男性への想いに揺れ動くなど、さまざまに感情に支配される女性といった、繊細な心理表現が要求される作品だが、総じて、振付のマイムなどで感情移入の過ぎるのが目立ち、その細部への凝りが流れを損ない、優雅な気品で全体を満たすというところに到らない。昨年の高田茜のほうが完成度は高いと云わざるを得ないだろう。

時に、ディテールの凝りや過剰さが、ダイナミックな全体を生み出す、ということはあり得ないわけではないが、言うは易きで、ことはそんな容易いものではない。
以て瞑すべし。

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−