昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ

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―表象の森― 白川静の遊字論

白川静の「文字逍遥」-平凡社ライブラリ-の冒頭には「遊字論」が置かれ、「神の顕現」と小題された一文にはじまる。松岡正剛によれば、この「遊字論」の初出は、彼が嘗て編集していた雑誌「遊」での連載ということだ。

-神の顕現-
 遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。

 遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。動かざるものは神である。神隠るというように、神は常には隠れたるものである。それは尋ねることによって、はじめて所在の知られるものであった。神を尋ね求めることを、「左右してこれを求む」という。「左」は左手に工の形をした呪具をもち、「右」は右手に祝詞を収める器の形である口-サイ-をもつ。左右とは神に対する行為であり、左右颯々-さつさつ-の舞とは、神のありどを求め、神を楽しませる舞楽である。左右の字をたてに重ねると、尋となる。神を尋ね求める行為として、舞楽が必要であったそれで神事が、舞楽の起源をなしている。祭式の諸形式は、この神を尋ね求める舞楽に発しているのである。

 以下、隠れたる神の「隠」の字、左偏の部首阝は山をたてざまにした形とされ、神が天上に昇り降りする神梯-しんてい-であったこと。神は、その神梯を陟降-ちょくこう-して、地上に降り立っては「み身を隠したまうて」人々の住む近くに住みもするが、その神梯の前に神を祭ることを「際」という、などとつづく。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−33

   雨のやどりの無常迅速  

  昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ  芭蕉

次男曰く、其人を佇立瞑目する雨中の青鷺に執成して、手持無沙汰ということはあるまい、と応じている。雨宿りも、只管打坐だと思えば無為の嘆きから解放される、という目付に気転のある付だが、以て茶禅一味の男のプロフィルと座に覚らせるように作ったところが妙である。

 わが庵は鷺にやどかすあたりにて  野水
  髪はやすまをしのぶ身のほど   芭蕉

貞享元年「冬の日」の、初巻7.8句目の付合だ。鷺の宿の亭主-野水-のもてなしに、客-芭蕉-は、尼鷺に身を借りて還俗のよろこびを噛みしめている。記念すべき出会いだった。

あれから6年、野水も既に33歳、芭蕉は47歳である。無常迅速の感はそれぞれにあったろう。尾張の珍客を「青鷺」に擬え、称えたのには、訳がある。眼前其人の頼もしさもさることながら、往時を顧みて、芭蕉は感謝しているのだ。

句は雑躰。戻って去来の「鮓」の句は夏、雑の句を挟んでふたたび同季というはこびはありえない。青鷺に夏の季感を見出したのは「滑稽雑談」「和漢三才図会」-共に正徳年間-あたりからで、当時、蕃殖期のアオサギの肉をとくべつに賞味する流行が生れたからである。佇立するその姿に涼を覚えて詠んだのは、更に下って蕪村の「夕風や水青鷺の脛-ハギ-をうつ」、これが初見のようだ、と。

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