糸桜腹いつぱいに咲にけり

Dancecafe080928205

―世間虚仮― 寒冷渦

夜は雨、二日続きの荒れ模様。この時期にしてめずらしいことだが、その原因は四国沖の寒冷渦とか。気象衛星の図を見れば、列島に大きな渦模様がかかっている。上空の偏西風から切り離された低気圧が動かず停滞したままなそうな。別名「切離低気圧」、英語ではCutoff Lowだと、まるで表記のそのままじゃないか。この寒冷渦、どうやら発達のピークは過ぎたようだが、30日までは四国沖でノロノロ、31日にようやく東へ動き出すだろうと。
週末の外出は傘が要るようだ。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−35

   しよろしよろ水に藺のそよぐらん  

  糸桜腹いつぱいに咲にけり  去来

次男曰く、名残の花-匂の花-である。
連・俳で「花」とは、文字どおり賞翫の惣名である。桜の花は代表的なものだが、その名で呼んでは「花」にならない。梅の花、桃の花、菊の花なども、「花の兄」「三日の花」「花の弟」と遣えば花になる。

元禄5年12月末、江戸での六吟歌仙の発句として詠んだ「打よりて花入探れんめつばき」を、芭蕉は「花」の句としている。一座を「花入」に見立てた趣向で-興行そのものが花だ-、早梅や冬椿が代役になるわけではない。

句は、芭蕉連句のなかで、「桜」を「花」代わりに遣った唯一の例で。事の次第は「去来抄」に記している。「予、花を桜に替えんと乞。先師曰、故はいかに。去来曰、凡そ、花はさくらにあらずといへる。一通りはする事にして、花聟・茶の出花なども花やかなるによる。花やかなりといふも、よる所あり。必竟、花は咲節をのがるまじとおもひ侍る也。先師曰、‥ともかくも作すべし。されど尋常の桜にて替たるは詮なからんと也。予、糸桜はら一ぱいに咲にけり、と吟じければ、句我儘也、と笑ひ給ひけり」。

糸桜に固執した訳も、「我儘」な句を認めた訳もこれではよくわからぬが、去来の句作りは、たぶん前二句の景の見立に、西行らしい遁世者の姿をからませたものだろう。しょろしょろと流れる小水に藺草がそよぎ、かたわらに青鷺が一羽、佇立して眠っていると云えば、藺田や江汀でなければ山寺か草庵の池泉のさまだ。初折、花の座の作り-「花とちる身は西念が衣着て−芭蕉-に合せて、去来は謡曲西行桜」の一節を借りたらしい。

「花の名たかきは、まづ初花をいそぐなる、近衛殿の糸ざくら。見わたせば柳・桜をこきまぜて、都は春の錦散乱たり」

葉らしい葉もなく、茶緑の小花もおよそ見映のせぬ、ひょろりと直立した藺草の風情は、柳とは似ても似つかぬ貧相なものだ。洛中の春が「柳・桜をこきまぜて」錦を飾るなら、草庵の春の贅沢は藺草のそよぎに満開の枝垂れ桜だ、と去来は云いたいらしい。

しだれは長寿を祝う縁起物である。矮小な藺草は柳糸に較べるべくもない。ならば、せめて糸桜に「腹いっぱい」しだれてもらおう、と読めばこの句は、俳も祝言もよくわかってくる。そういう興について、俳諧師当人は何一つ語ろうとはせぬものだ、と。

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