しづけさは死ぬるばかりの水が流れて

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山頭火の一句−昭和5年9月

山頭火の行乞記「あの山越えて」は、熊本での「三八九-さんばく-」居の時期を挟んで二つの旅、前半は昭和5年9月から12月までのほぼ3ヶ月、後半は昭和6年の暮から翌年の4月まで約5ヶ月の旅となっている。
 このみちや
 いくたりゆきし
 われはけふゆく
私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ、と旅のはじまりの一日を書きおこしている。

―表象の森―「群島−世界論」-06-

アルジェで「孤島」-Les Iles-という本をはじめて手にとったとき、アルベール・カミュは二十歳だった。小説を書きたいという欲動が体内からあふれ出さんばかりにみなぎる、痛いほどに幸福な、誰もが記憶するあの若き王国での出来事である。その本は啓示そのものだった。傾倒、そして熱狂的な従順がそのあとにつづいた。太陽、夜、海−そうした自然の与えてくれるむせかえるような美と陶酔の氾濫だけを、ただ享楽として受け入れるだけだった若者の傲慢さに向けて、その本は火山の震動のような衝撃を与え、氷の雨をはげしく降らせた。「自然」の神々を崇拝するだけの野蛮な悦楽の日々にたいし、それは聖なる痛み、不可避の死、愛の不可能といった懐疑と憂鬱の像をつきつけ、カミュにはじめて人間の内部に翳のように巣くう「文化」なるものの存在を発見させた。はじめて覚える「消えやすさ」の感触が、「消え去ることのない」味わいとして、若い感性の襞のなかに深く浸透し永遠にとどまった‥。

「孤島」の著者ジャン・グルニエ、1930年、パリから新任哲学教授として赴任してきた彼をアルジェ高等学校で迎えたカミュは、この師とのあいだにすでに張られていた見えざる共感の糸を直観し、師の人と作品を通じて、その硬質の糸を自らの内部で豊かに紡いでいったのだった。
 -今福龍太「群島−世界論」/6.メランコリーの孤島/より-

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